箴言15章28節「神に従う人は、神の御旨に応えようと思いを巡らす」ルカ2章17節〜19節「羊飼いたちは幼子について天使たちが話したこととベツレヘムで見た光景とを人々に知らせた。羊飼いたちの話を聞いた者は、皆、不思議に思ったが、マリアは全ての出来事を心に納めて、思い巡らしていた」。
(注)別エントリー「試論:『主のはしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5643
(注)別エントリー「試論:『主のはしため』(旧約)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6611
(注)別エントリー「試論:『わたしは主のはしため』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8740
【追記】
キリスト教を難癖をつける主張として「冬のイスラエルは雨季だから羊飼いは羊の放牧をしない」があるが統計上、東京とエルサレムの降水量を比較すると12月から1月は、東京では年間で最も降水量が少なく逆にエルサレムは最も多い時期だが、それでも同時期のエルサレムの降水量は東京に少し及ばない。
エズラ10章9節以下では、ユダとベニヤミンの男性たちが異邦人の娘たちとの結婚を祭司エズラに咎められ、エルサレム神殿の広場に座っていたと記す。季節はヘブライの暦の「第九の月の二十日」と冬で、恐れと雨とで人々は震えていた。この時の雨量は大集会が雨天でも野外で決行可能な程度だと分かる。
イスラエルの夏は統計上「0」に降水量がなるくらい雨が降らず、冬は雨が夏よりは降り「雨季」と呼ばれる。12月〜1月は東京では年間で最も降水量が少なく。逆にエルサレムは最も多い時期だが、同期のエルサレムの降水量は同期の東京に統計上は少し及ばず日本の梅雨や秋の長雨等とは同一視できない。