マタイ1章でヨセフの夢に現れた主の天使は「マリアが産む子は民を罪から救う」と教えた。同じ事柄をペトロは使徒言行録3章26節で、「神は御自分の僕(しもべ、同13節参照)を立てられ遣わしてくださった。それは一人一人を悪から離れさせ、祝福(マタイ25章34節)に与らせるため」と説いた。
(注)別エントリー「試論:祝福された人と最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13187
【追記】
マタイ1章21節は「自分の民を罪から救う」ルカ1章77節は「罪の赦しによる救い」と記し、主御自身もマタイ6章13節で「悪い者から救って下さい」と《主の祈り》を教えられ、ガラテヤ1章4節は「この悪の世からわたしたちを救い出そうとして御自身をわたしたちの罪のために献げられた」と記す。
(注)別エントリー「主の御降誕:救い主は何から人々を救うのだろうか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4445