試論:「神の御独り子の家」を140文字以内で

詩編15編3節は、神なる主と同じ住まいで暮らす人の条件として、周囲に対して中傷をせず、害を及ぼさず、小馬鹿にした態度を取らないことを挙げ、また2節では完全(=無垢)で、義を行うことを挙げる。主イエスの同居家族として、ヨセフが幼子や幼子の母を困らせる行動に出た可能性は皆無と言える。

(注)別エントリー「試論:『幼子と女性を尊重する』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8823

【追記】

主はマタイ18章3節で、心を入れ替えて幼子のようになるように強く弟子たちへお命じになり、他方5章48節では、天の御父と同様に、皆も「完全」となるように主はお勧めになった。古代のギリシア語創世記では「完全」というこのギリシア語が、6章9節においてヘブライ語の「無垢」に対応している。

福音書の時代、イエスを救い主と認めて信じた人々がいる一方で、「ガリラヤ人」「大工の子」「大食漢で大酒呑み」「徴税人や罪人の仲間」と嘲っていた人々もいた。相手を侮ったり色眼鏡で見たり揚げ足を取ろうとしたり冷笑してやろうと待ち構えたりする人々の目にはいつまでたっても神の姿は映らない。

(注)別エントリー「試論:『心の清い人は神を見る』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5937