試論:「当然、聖霊でない徴候」を140文字以内で

主イエスはマタイ4章24節と同17章15節で、てんかん(けいれん、ひきつけ)の人々を治癒の対象とされた。急に体をブルブル(ガクンガクン)させて白目を剥いたり、呼び掛けに応じなくなったり、口から泡を吹いてひっくり返ったり等が見られれば、当然、聖霊の働きでなく救急医療の対象に当たる。

(注)別エントリー「聖霊の不在を示唆する徴候を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13232

(注)別エントリー「聖霊の働きか否かを確実に識別できる基準」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4564

(注)別エントリー「試論:『聖霊による賜物の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11684

(注)別エントリー「試論:『神の霊と集会中の秩序』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11573

(注)別エントリー「試論:『異言』の要件を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10960

【追記】

主イエスはさまざまな病気に対し奇跡的な治癒を行われたが、病人に医者が必要であることは否定されない(ルカ5章31節等)。シラ書38章は、病気になった際に主に治癒を祈り求めることを勧める(9節)が、それと共に医者の手を借りることも勧め(12節)治癒に医者が必要な場合もあり得ると説く。

(注)別エントリー「試論:『善きサマリア人と宿屋』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13394