試論:「清めの水」を140文字以内で

カナでの婚礼の場面には「ユダヤ人が清めに用いる石の水がめ」(ヨハネ2章6節)が登場する。モーセの律法で用いられる「清めの水」に関しては民数記19章にまとまった記述があるが、使用法について18節では、身の清い人がヒソプを取ってその水に浸し、対象となる人または物に振りかけると定める。

(注)別エントリー「バプテスマは身を沈める・身をひたすことなのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/408

【追記】

大規模な「清めに用いる石の水がめ」は当時のユダヤ人のどんな家庭にもあるような物ではなく、律法の規定との関連が歴然であることから婚礼が行われた家族は祭司族に属するものと推測されてきた。主イエスや弟子たちは客人として招かれていたが、母マリアも(恐らく親族として)その場に同席していた。

カナでの婚礼の際、主と弟子たちは招かれていたが聖母もそこにいた。近所だから手伝いに来たというにはカナはナザレからやや遠く、婚礼の家は聖母の親族だった蓋然性がある。ユダヤ人が清めに用いる石の水がめはエルサレム神殿の遺跡で多数発掘されているため、婚礼の家は祭司族の家柄とも推測される。

(注)別エントリー「試論:カナでの婚礼と聖母マリアを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9059

(注)別エントリー「試論:聖母の両親を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6633