試論:カナでの婚礼と聖母マリアを140文字以内で

カナでの婚礼の際、主と弟子たちは招かれていたが聖母もそこにいた。近所だから手伝いに来たというにはカナはナザレからやや遠く、婚礼の家は聖母の親族だった蓋然性がある。ユダヤ人が清めに用いる石の水がめはエルサレム神殿の遺跡で多数発掘されているため、婚礼の家は祭司族の家柄とも推測される。

(注)別エントリー「試論:聖母の両親を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ヨハネ2章のカナでの婚礼の際、3節の母の言葉に対し、主は4節でその真意を測りかねる答えをされた。しかし母は5節で、願いが聞き入れられたことを確信して召し使いたちに言葉をかけた。その理由は一ヨハネ5章14節以下に、「これが神に対するわたしたちの確信」という表現とともに記されている。

(注)別エントリー「試論:『確信』を140文字以内で」も参照のこと。
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救い主を預言する際ダビデとエリサベトは「わたしの主」と呼ぶ。救い主には人間として母親しか存在せず、マリアは救い主を「わたしの肉の肉」(創世記2章23節)と呼んで誇ることもできたが、しかし母から人々への伝言は、「万事この人の言う通りにしてください」(ヨハネ2章5節)まずこれである。

(注)別エントリー「試論:『わたしの主』と母マリアを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『恵みとへりくだり』を140文字以内で」も参照のこと。
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