試論:「大祭司キリスト」の意義を140文字以内で

ヘブライ5章は「大祭司」としてのキリストを強調する。この手紙は「ヘブライ人」つまり当時のユダヤ人キリスト教徒に対して、ルーツである旧約の伝統を思い起こさせると共に、それらは新約(キリストの教え)の中にも新しい形で実現されており旧約が新約に道を譲って役割を終えようとしていると説く。

(注)別エントリー「試論:『律法の時代の終焉』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主はマタイ5章18節で、全てのことが実現して天地が消え失せるまではモーセの律法も消え失せないと仰せになり、ルカ21章22節ではエルサレム滅亡で預言が全て実現すると予告され、紀元七〇年にそれは成就した。詩編78編69節の通りヘブライ人はエルサレム神殿の聖所を「天地」にたとえていた。

(注)別エントリー「『ヘブライ人への手紙』が書かれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2286

主イエスはヨハネ5章39節で「あなた方は〔旧約〕聖書中に永遠の命が存在すると考え〔旧約〕聖書を研究するが、〔旧約〕聖書はわたしに関してあかししている」と仰せになり、御自分とは無関係の目的で〔旧約〕聖書を研究しても、本当に重要な真理には全く到達することができないと、お教えになった。

(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8706

(注)別エントリー「試論:聖書研究の目的を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8447