主イエスの教えを聞いた人々は「権威ある新しい教え」(マルコ1章27節)と論じ合った。主は御自身の教えを「織りたての布」(同2章21節)、従来の教派に属する人々の教えを「古い服」にたとえられて、それらを無理につなぎ合わせようとする努力を「破れはいっそうひどくなる」として否定された。
(注)別エントリー「試論:『新しい酒と新しい革袋』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13454
【追記】
マルコ1章22節でイエスの教えを聞いた人々は、権威ある者の「新しい教え」(同27節)だと驚いた。マタイ7章29節でも人々は同じく驚いたが、イエスが「わたしに対して『主よ、主よ』と言う者が〜」(同21節)と口にして、自身をモーセや他の預言者を超越する存在と位置付けていたからである。
(注)別エントリー「試論:マルコ1章『権威ある者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13672