マタイ1章19節は主の養父ヨセフをディカイオス(正しい人、義人)というギリシア語で呼び、主は同23章35節で創世記4章のアベルを同じ語で呼ばれた。古代ギリシア語訳創世記6章9節とシラ44章17節とはノアを同じ語で表現し、アベル・ノア・ヨセフの三人が同じカテゴリーに属すると物語る。
(注)別エントリー「試論:聖ヨセフの模範を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7243
(注)別エントリー「試論:ノアとヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7129
(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
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【追記】
創世記4章でカインに殺されたアベルに関し、主はマタイ23章35節で「正しい人(義人)」と表現された。この語は1章19節で主の養父ヨセフの人柄を表す語と同じで、最後の審判の箇所では、隣人が何らかの助けを必要としている場合に、必要とされる助けを提供し、困り事を解決する人を指している。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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旧約聖書第二正典の知恵の書の10章では、人類の元祖アダムが一度は過ちを犯したが、そこから立ち直って救われ、嫉妬のためにカインは神から遠ざかり、弟を殺した後も不信仰のまま死に滅び去り、カインの不信仰が人類に蔓延した結果として洪水に至った世界から神に導かれノアが箱舟で救われたと記す。
(注)別エントリー「試論:神の子と人の娘の結婚??を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「神の子らは人の娘たちを【再投稿】」も参照のこと。
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