試論:エゼキエル書38章の戦争を140文字以内で

エゼキエル書38章で預言されている戦争において「ゴグ」の侵略目的は、「金銀」や「財産」や「家畜」の「略奪」ではないかと周辺から「非難」を受ける性質のものであり、現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、まして家畜の略奪が話題にされるような戦争が「世界最終戦争」であるわけがない。

(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15520

【追記】

エゼキエル書38章から39章に言及される軍隊の主力は騎兵部隊で現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、また軍隊全体の武装も大盾・小盾・剣・兜・弓矢・棍棒・槍の類いで前近代的と形容せざるを得ず、この戦争を「世界最終戦争」とか「終末預言」とか言い立てるのは羊頭狗肉もはなはだしい。

エゼキエル書38章12節はゴグが「地上(イスラエル)」の「中心(エルサレム)」を襲う主要目的の一つに、「財産」を挙げる。エルサレムが圧倒的に富裕な「中心」たり得るのは、神殿税や献金の集まる神殿の所在地だからであり、従ってこの戦争が勃発するのはエルサレムに神殿が存在する時代である。

約二千六百年前にエゼキエルが「マゴグのゴグ」預言の啓示を受けて以降、「メシェク」を現在のロシアの首都モスクワと関連付ける解釈は二千年以上の間、存在しないに等しかった。「メシェク=モスクワ」説は約五百年前に始まった比較的新しい解釈だが古代史や考古学の立場からは空想も同然の話である。

(注)別エントリー「試論:エゼキエル戦争を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4921

ルネサンスと宗教改革の後ヨーロッパでは「ヨーロッパ人はノアの子ヤフェトの末裔」とする説が広まり、創世記の系図上の人名と現実に存在する国々とを組み合わせる様々な説が提唱されたが、東欧を中心にロシアの膨張を警戒する諸国で「メシェク=モスクワ」説が流行したのも、ある意味では当然だった。

エゼキエル書38章では北方の諸民族を中心とした大軍団がイスラエルに侵攻して一大危機が到来すると預言されているが、39章の最後ではこの戦争の後にはイスラエルが元の繁栄の時代に戻るとも預言されていることから、この戦争は「世界最終戦争」ではありえないし、この預言は「終末預言」でもない。

ルカ21章22節において、主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると明言されており、それは紀元七〇年に現実のこととなった。従って、既に旧約聖書の預言が全て成就している以上、現代や近未来の世界情勢に関して旧約聖書の預言から考える行為は無意味である。

旧約聖書の預言は第一義的に主イエス・キリストの到来及びその前後までの歴史的出来事をあかしするためのものであり、キリスト到来から約二千年後に生きる現代人が国際情勢を読み解くためのものではなく、国際情勢分析など本来の意義とは無関係の完全な逸脱行為であり、真理には絶対にたどり着けない。

バビロン捕囚からの帰還と主イエス・キリストの御降誕との間の約五百年で、アンティオコス四世エピファネスによる迫害ほどイスラエル人にとって苛酷な惨劇はなかった。エゼキエル書38章で預言されている危機的状況をマカバイ記の時代の惨劇とは全く無関係と捉えるのは、やはり解釈として無理がある。

(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859

エゼキエル書38章には「マゴグのゴグ」預言があり、13節「タルシシュの商人」に関して古代のギリシア語聖書は「タルシシュ」を「カルタゴ」と解釈したが、商業国カルタゴは紀元前146年には既に滅亡しており、従って「マゴグのゴグ」預言はカルタゴ滅亡以前の時期に実現していなければならない。

19世紀前半の作家エドガー・アラン・ポーは、紀元前二世紀のシリア王アンティオコス四世エピファネスを題材にした、「エピマネス(狂人)」という作品を書いたが、その冒頭には「アンティオコス・エピファネスは、一般的に預言者エゼキエルのいうところのゴグと見なされている」などと記されている。