自分の命を得ようとする者はそれを失い

【問】「自分の命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者はそれを得る」って何?
【答】申命記30章15節の通り、古代のヘブライ人は全ての幸福を総称して「命」と呼びましたが、主の養父ヨセフは自分自身の個人的な幸福の追求を断念し、全て息子や妻と一緒の幸福だけを選びました。

【問】具体的には何?
【答】ヨセフはマリアに対して「あなたの産んだ子が本当に神の御独り子なら、エジプトだろうとどこだろうと天使たちの大群が助けてくれるはずだ。しがない職人に過ぎないわたしは故郷で細々と静かに暮らす方が、性に合っている」などと言って突き放すことを決してしませんでした。

【問】確かにヨセフは妊娠中のマリアに辛く当たることがなかったにせよ、よほど彼は優柔不断で気が弱かっただけでは?
【答】全く違います。妻子を連れてエジプトへ逃げるように夢で天使に指示された後、彼の決断と行動は迅速で「自分はガリラヤ人でエジプトを知らない」などと妻に愚痴りませんでした。

【問】古代のイスラエルからエジプトまでの治安は?
【答】当時に限らず、いつの世もパレスチナからエジプトまでの経路は治安の悪い地域として著名で、優柔不断で気が弱い臆病者が妻と乳飲み子を連れて旅することなど、全く不可能です。預言者エレミヤの時と異なり聖家族は三人だけで行動していました。

【問】なぜ養父ヨセフに関心を持つべきですか?
【答】かつて若きルターは自分はどうすれば「義とされる」のかと悩んだといわれます。ところがヨセフは、まさに「義人」(マタイ1章19節)つまり「義」を体現する人と記されます。従ってヨセフを考察することとは「義」を考察することに他なりません。

【問】古代のヘブライ人の「義」とは何を意味しますか?
【答】サムエル上24章18節「お前(=ダビデ)はわたし(=サウル王)よりも義人だ。わたしはお前に対して悪意で向き合っているのに、お前はわたしに対して善意を見せてくれた」。古代のヘブライ人の「義」とは現代の日本語では「善意」です。

ダビデは神からの霊感を受け詩編15編で、《神の家》で《神の同居家族》となる人々について、「親しき仲にも礼儀あり」という観点で言葉と行いの両面において、(無垢という意味で)完全な神の御目にかなった人々であると表現した。マリアとヨセフはそれに該当しなかったなどと、誰が言えるだろうか?

受胎告知の際マリアは「恵まれた方」と呼ばれたが、テトス2章11節以下では「全ての人に救いをもたらす神の恵みは、不信心と現世的欲望を捨て思慮深く正しく信心深く生きるよう教え、また偉大な神であり救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むよう教えます」と神の恵みに関し説明する。

ヨハネ1章17節は「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と記すが、二ペトロ1章は神からの恵み(2節)の内容を5節以下で、信仰に始まり徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛に至るとして、恵みが加わるほど「情欲に染まったこの世の退廃」(4節)や怠惰(8節)から遠くなると記す。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332

(注)別エントリー「試論:真理(まこと)の反対は?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12668

(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8706

聖母は受胎告知の後も「主のはしため」(ルカ1章38節、48節)と自称するほど、へりくだりが第一の特徴であり、聖霊によって神の御独り子を宿される以上、《聖霊の結ぶ実》(ガラテヤ5章22節〜23節)である愛から節制に至る諸徳は、「おめでとう、恵まれた方」と呼ばれるまでに、備えていた。

【問】マリアとヨセフに関する記述は乏しくないですか?【答】マリアは「恵まれた方」(ルカ1章28節)「祝福された方」(同章42節)と呼ばれ、ヨセフは「正しい人(義人)」(マタイ1章19節)と呼ばれます。「恵み」「祝福」「〔神の〕義」の理解を深めれば二人に関する理解もより深まります。

主イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節で「正しい人」と呼ばれるが、25章の「最後の審判」において「正しい人」は永遠の命が確約された人である。母マリアはルカ1章42節で「女の中で祝福された方」と呼ばれるが、マタイ25章34節では「祝福された人」は同じく永遠の命が確約された人である。

(注)別エントリー「試論:『神の母』聖書的根拠を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13155

(注)別エントリー「試論:『親しき仲にも礼儀あり』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13120