ヨハネ12章の冒頭で、ベタニアのマリアの行いを目にしたイスカリオテのユダは、相手の「落ち度」(実際は落ち度でも何でもなかったがユダは勝手にそう思い込み調子に乗った)を見つけて鬼の首でも取ったかの如く、勢いづいた。同6章64節は主イエスは最初から誰が裏切り者か知っておられたと記す。
(注)別エントリー「試論:『正論を装った悪意』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11241
【追記】
レビ19章18節は隣人愛の掟を記すが、15節は貧者救済の理由であろうと判断を惑わされてはならないと説く。ヨハネ12章でイスカリオテのユダが貧者救済を理由にベタニアのマリアを攻撃した際、主イエスはユダの言葉が貧者救済を口実にした単なる言い掛かりに過ぎないと見抜かれ、女性を擁護した。
(注)別エントリー「試論:『人間を照らす光』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7227