主は「火」「剣」を人々にもたらすと仰せになったが、両者とも御言葉の比喩である。御言葉は心を燃やし(ルカ24章32節)心に刺さる(詩編55編22(21)節等参照。エフェソ6章17節)。黙示録も1章16節等で御言葉を剣に喩え11章5節では御言葉を火に喩えた(エレミヤ5章14節参照)。
【追記】
古代のイスラエル人は《鋭く人間に迫り心に刺さる言葉〔の力〕》を「剣」にたとえた(詩編55編22(21)節等)。この比喩を踏まえ、主イエスも「剣をもたらすために来た」(マタイ10章34節)と仰せになり、ルカ2章35節でも母マリアにシメオンが、この比喩を用いて御受難について預言した。
(注)別エントリー「試論:『剣』と『言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7807
(注)別エントリー「試論:『地上に火を投ずる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7803
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844