試論:「鞭か愛と優しさか」を140文字以内で

主はモーセに対し出エジプト記34章で、御自分を優しさと厳しさを兼ね備えた存在と啓示され、ダビデは詩編18編で主は優しい人に優しいと歌った。パウロも一コリント4章の最後で「あなたたちが望むものは、鞭か、それとも愛と優しさか」と問いかけ、主のなされようは人間次第だと、思い起こさせた。

【追記】

主はマタイ22章で律法中の最も重要な掟の第一は神への愛、第二は隣人愛と仰せになった。申命記10章でモーセへの戒めの再授与の際、12節以下では神への愛が命じられ、19節では「遠くからやって来た者(寄留者、新参者、改宗者)」という表現で隣人愛(レビ19章18節、34節)が命じられた。

(注)別エントリー「試論:『良きサマリア人』の教訓を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6827

(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1982

マタイ22章36節以下の「律法の中で最も重要な掟はどれか」の答えと、ルカ10章25節以下の「永遠の命を得るために何をすればよいか」の答えは一致する。またマルコ12章32節は「神は唯一であり、他に神はない」という事柄をギリシア語本文でアレテイアすなわち真理と表現してこれを強調する。

(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4884

マタイ6章14節の主の御言葉「あなたが他人を容赦するなら、天の父もあなたの過ちを容赦される」を聞いた当時のヘブライ人はすぐ詩編18編21(20)節以下を連想し、また「神は高慢な者を敵とし、へりくだる人に恵みをお与えになる」(箴言3章34節、一ペトロ5章5節)も連想したはずである。

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008