試論:「山が平らにされる」??を140文字以内で

ゼカリヤ4章7節は「大いなる山よ、お前は何者か。ゼルバベルの前では平らにされる」と記す。古代のヘブライ語の「山」には障碍・困難・難局・反対(反対勢力)等のニュアンスもあり、現代の日本でも(選挙結果を踏まえ)揺るぎないと思われた民意の大きな変化を「山が動いた」と表現することがある。

【追記】

イザヤ2章において「山」という言葉は、まず2節では神殿の所在地である都エルサレムの栄光の象徴(ダニエル9章16節「あなたの都、聖なる山エルサレム」参照)である。しかし一度その都の人々の心が神から離れるなら、「山」(14節)は「傲慢」(11節、12節)を象徴するものにも変化し得る。

(注)別エントリー「試論:『山』と『高慢』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9201

ルカ3章5節はイザヤ40章4節を引用して、「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる」と記す。預言者イザヤが到来を預言した救い主イエスも《自分を高くする者は神によって低くされ自分を低くする者は神によって高くされる》と繰り返されて、イザヤ40章4節の意味するところを御説明された。

(注)別エントリー「試論:『恵みとへりくだり』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8781

(注)別エントリー「試論:『高慢は破滅を準備する』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7485

パウロは一コリント13章2節で、「たとえ山を動かすほどの信仰があろうとも」と表現したが、ゼカリヤ4章7節「大いなる山」の比喩を踏まえれば、この「山を動かす」とは、障碍・困難等を乗り越えていくことの比喩であり、また揺るぎないと思われていた民意を大きく動かしていくことの比喩でもある。