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試論:「あなたがたのため」を140文字以内で

主イエスはヨハネ12章30節で、御父の天からの声(28節)が聴こえたのは、イエス御自身のためではなく、人々が信じて救いに入るためだと仰せになった。主はラザロの死(11章15節)と復活(42節)の際も、人々が信じて救いに入るためにこのようなことが起きるという旨を仰せになられている。

【追記】

主イエスはヨハネ12章28節で、「父よ、御名の栄光を現して下さい」と仰せになり、すると天から声が聞こえた。これは申命記5章22節以下を彷彿とさせ人々はそれを思い起こしたなら慄然としたはずである。ただ群衆の反応は「雷が鳴った」「天使がこの人に話しかけた」等で、回心には至らなかった。

民数記4章は「三十歳以上五十歳以下」と繰り返して、古代のイスラエルではこの年代を働き盛りと考えていたと示唆し、ヨハネ11章ではマルタ(21節)とマリア(32節)またユダヤ人たち(37節)まで口々にラザロの死を悔やみ、天寿を全うしたと言える年齢に彼が達していなかったことを暗示する。

(注)別エントリー「試論:『上げられる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9358

(注)別エントリー「試論:『一粒の麦もし死なずば』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9425

(注)別エントリー「試論:『自分の命を憎む人』??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9419