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試論:「捨てる」べきものは何?を140文字以内で

主はルカ9章23節で「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と仰せになった。コロサイ3章9節以下は「古い人をその行いとともに脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々、新たにされる」よう勧め、捨てるべき事柄を5節以下で説く。

(注)別エントリー「試論:『十字架が象徴するもの』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7585

(注)別エントリー「試論:キリスト教の日々の十字架を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7590

【追記】

エフェソ4章の後半では「神にかたどって造られた新しい人」として生きるためとして「怒ることはあっても罪を犯してはならない」「日が暮れるまで怒ったままではいけない」「悪い言葉を一切口にしない」「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどの全てを、一切の悪意とともに捨てる」等を勧めている。

一ペトロ2章の冒頭は「霊的な乳飲み子」について語っているが、ここでペトロは「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去る」ことを要請しており、当然ペトロは、あまりにも有名な「人から出て来るものこそ、人を汚す」で始まる、マルコ7章20節から23節の主の御言葉を念頭に置いて説明する。

主はマタイ18章で、「心を入れ替えて子供のようにならなければ決して天の国に入ることはできない」(3節)また「自分を低くして子供のようになる人が天の国では一番偉い」(4節)と仰せになられ、「心を入れ替える」「自分を低くする」の二つが子供のようになるために必要な事柄であると説かれた。

マタイ22章「礼服」に関連して、パウロはコロサイ3章で、キリストに結ばれていたいと望む人々が「着る」つまり身に着けるべき事柄に関してとりわけ10節以下で論じ、5節から9節では脱ぎ捨てるべきものも説く。身に着けるべきは憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容、そして愛だとパウロは説いた。

(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008