主イエスはパンを増やし五千人の群衆に食べ物を与えるという奇跡を行われた。類似の奇跡は列王下4章42節以下で「神の人」預言者エリシャも行っていた。主イエスの神の御独り子たる本領は「生まれつき目が見えなかった人の視力を回復させた」(ヨハネ9章32節、イザヤ35章5節)時に発揮された。
(注)別エントリー「試論:『救い主の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ルカ2章11節は「あなたたちのために救い主がお生まれになった」マタイ1章21節は「この子は自分の民を罪から救う」と記す。イザヤ35節4節以下は「敵(サタン)を撃ち悪を罰する神が来られ、あなたたちを救われる」と預言し、目や耳や足や言葉の不自由な人々の回復が神の到来の徴になると続く。
(注)別エントリー「試論:『超自然的な御降誕』を140文字以内で」も参照のこと。
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主が集まった群衆のためにパンを増やす奇跡を行われたことは有名だが、その少し前に弟子たちが極度の空腹のため安息日に麦畑で穂を摘み直に麦を口にし、ファリサイ派の人々と論争になった。なぜ主は奇跡で弟子たちの空腹を満たそうとはされなかったのか? 「現世利益」目的では奇跡を主は行われない。
(注)別エントリー「試論:『空腹をしのぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ6章51節「わたしは天から降(くだ)って来たパンであり、このパンを食べる者は永遠に生きる」ルカ4章4節「人はパンだけで生きる者ではない」申命記8章3節「人はパンだけで生きる者ではなく主の口から出る全ての言葉で生きる」ヨハネ6章68節「あなたこそ永遠の命の言葉を語る方です」。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章はイエスを「言(ことば)」と呼んだ。これは「御自分でお話しになる神」の意味で《天使や預言者を介してではなく直接人々にお話しになる神》主イエスを表す称号であり、直接お話しになった記録が福音書である。福音書を読まないことは主イエス・キリストを理解しようとしないことに等しい。
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:反キリストの霊を140文字以内で」も参照のこと。
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