主はマタイ10章7節で「神の国が近づいた」と告げるよう仰せになったが、これと別に23節で「人の子」が来る日をほのめかされた。これはルカ17章22節「人の子の日」や黙示録6章17節「神と小羊の怒りの大いなる日」を指し、マタイ24章33節の通り、人々は悲惨な諸事件から主の来臨を悟る。
(注)別エントリー「試論:『主の日』二つの意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12894
【追記】
主はマタイ10章23節で「人の子は来る」と仰せになり、「人の子の日」(ルカ17章22節)に言及されたが、黙示録6章17節は「神と小羊の怒りの大いなる日」と表現し、これらの啓示は紀元七〇年のエルサレム滅亡で実現した。支配者たちはイザヤ2章と黙示録6章の通り、洞穴からの逃亡を企てた。
(注)別エントリー「『人の子が来るのを見るまで』???」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18126