試論:「ファリサイ派」誕生を140文字以内で

【問】旧約聖書にはファリサイ派は登場しません。
【答】ユダヤ独立の英雄ユダ・マカバイにはハシダイ(敬虔派)と呼ばれた集団の多くが協力しましたが、マカバイの死後、彼の一族ハスモン家が権力集中を強めるとハシダイは袂を分かって離脱し、新たにファリサイ(分離派)と呼ばれるようになりました。

【追記】

ファリサイ派がいったい何から「分離」したのか、可能性は二つ考えられる。一つは当然マカバイの死後に大祭司そして王にまで上り詰め独裁権を掌握したハスモン家からの「分離」であり、もう一つは反ハスモン家抵抗運動の色を強めることによる、より穏健なハシダイ(敬虔派)本体からの「分離」である。

ハスモン王家の側からすると、ハシダイをファリサイと言い換えたい動機は、はっきりしていた。自分たちとは仲違いして袂を分かち離れていった連中のことを、誰が好き好んで敬虔派などと呼ぶものかということである。それなら自分たちと袂を分かったのだから分離派と呼ぶのが相応しいということになる。

古代ユダヤ独立の英雄ユダ・マカバイから百年以上を経て彼の一族ハスモン王家は御家騒動を繰り返す有様で、マカバイ時代からの同盟国である超大国ローマは、ユダヤの内戦の最中ハスモン王家の重臣ヘロデに「いっそあなたが王になれば」と唆した。ヘロデは自分が王となりローマの後楯で内戦に勝利した。

(注)別エントリー「試論:搾取されていたユダヤ??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/23155

(注)別エントリー「ダニエル書7章:地上に興る第四の王国」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4631

ローマの威光を背景にヘロデは重臣の身でありながら、御家騒動を繰り返すハスモン家からユダヤの王位を奪ったが、ハスモン家から厄介者扱いされていたファリサイ派を懐柔した。結果的に各地に存在した諸会堂はファリサイ派の管轄となり、マタイ23章2節の通りファリサイ派は「モーセの座に着いた」。

主イエスの宣教生活の百年以上前、まだハスモン家が強大な頃、ハスモン家の独裁に敢然と異論の声を上げたファリサイ派にはユダヤの人々の人気と同情が集まった。しかしハスモン家が御家騒動を繰り返しヘロデに王位を簒奪され、ファリサイ派の少なくとも一部がヘロデと結託すると人気と同情は霧散した。