【問】知恵の書12章16節「あなたの力は正義の源」の「あなたの力」って、何のこと?
【答】一コリント1章30節はキリストを「神の知恵」と呼び、主イエス御自身もルカ11章49節で「神の知恵」を称されました。一コリント1章24節は「神の力、神の知恵であるキリスト」と同様に呼んでいます。
【問】では、「あなたの力」とは「神の力である主イエス・キリスト」ということですか?
【答】主イエスはマタイ21章32節で「義の道」(二ペトロ2章21節参照)という表現を用いられましたが、ヨハネ14章6節の「わたしは道」を踏まえれば、主は「義の道」という表現で御自身を暗示されました。
【問】主イエスはなぜ「義に飢え渇く人は満たされる」と人々に仰せになったの?
【答】「義の道」(マタイ21章32節、二ペトロ2章21節)であられる救い主は「命のパン」(ヨハネ6章35節)「生きた水の源」(ヨハネ4章14節、同7章37節、エレミヤ17章13節参照)でもあられるからです。
二ペトロ2章21節「『義の道」(=主イエス・キリスト)を知りながら自分たちに与えられた聖なる掟(ヨハネ13章34節、マタイ7章12節)から離れ去るより、『義の道』を知らなかった方が、彼らのためには良かった」箴言8章20節「わたし(=知恵)が歩んで行くのは、憐れみの道と、義の道」。
【問】古代のヘブライ人の「義」とは何を意味しますか?
【答】サムエル上24章18節「お前(=ダビデ)はわたし(=サウル王)よりも義人だ。わたしはお前に対して悪意で向き合っているのに、お前はわたしに対して善意を見せてくれた」。古代のヘブライ人の「義」とは現代の日本語では「善意」です。
【問】主はマタイ6章33節で神の国と神の「義」(ディカイオシュネー)を求めよと仰せになりました。この具体的な意味は?
【答】詩編112編9節を引用した二コリント9章9節でも同じ語が用いられますが、新共同訳の日本語は「慈しみ」です。なお、元の詩編の日本語は新共同訳では「善い業」です。
【問】マタイ6章33節「神の国と神の義」や同5章20節「あなたたちの義が律法学者たちやファリサイ派の義に勝らなければ」の「義」って、何?
【答】それらの「義」という訳語はギリシア語原文ではディカイオシュネーで、この語は同6章1節「人前で善行を見せびらかせないように」の「善行」です。
【問】聖書の中の「愛」も聖書の中の「義」も、ともに「善意」や「善行」という点では一致しているということですか?
【答】少なくともマタイ福音書におけるディカイオス/ディカイオシュネーの用法を調べる限り、聖書の中で、「愛」と「義」の間に、矛盾や対立や齟齬の類いは存在していないようです。