試論:イザヤ26章2節「城門」を140文字以内で

イザヤ26章は冒頭で神の民に属する人々が住む堅固な都つまり「新しいエルサレム」を預言し、2節は特に城門について説く。この城門こそ、主イエスが言及された「狭い門」である。この門はへりくだって身を屈めることを知る人は通れるが、ふんぞり返った高慢な人は通れない。その意味で狭い門である。

(注)別エントリー「試論:新都エルサレムの『用意』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16763

【追記】

詩編1編1節は幸いな者として「神の逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず」と歌い、「神は高慢な者を敵とされ、へりくだる者に恵みをお与えになる」(箴言3章34節、ヤコブ4章6節、一ペトロ5章5節)と同様に、高慢心は信仰と相容れないことを説く。

(注)別エントリー「試論:『恵みとへりくだり』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8781