試論:イザヤ9章の「永遠の父」を140文字以内で

イザヤ9章5(6)節は「みどりご」「男の子」として救い主の到来を預言し、その方を「永遠の父」と呼ぶ。旧約の民にとって神なる主は「わたしたちの父」(同63章16節)であり、その方は「初め」(ヨハネ1章1節)すなわち天地創造以前から既に、《御父》とともに存在されている方だからである。

(注)別エントリー「『完全な神』が『完全な人間』を担われた」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『初めに言があった』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

【問】ヨハネ1章1節の「言」(御子である神、主イエス)と「神」(御父である神)とは、旧約聖書にも登場しますか?
【答】ダニエル7章13節で御子は《「人の子」のような者》、御父は《日の老いたる者》として預言されています。この預言を踏まえられ主イエスは福音書で「人の子」を称されました。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『人の子』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「《御父》と《御子》との関係性」も参照のこと。
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【問】主イエスは《完全な神》が《完全な人間》を担われた方ということですが、主イエスは信者から見てどんな存在ですか?
【答】主は「わたしたちの父」(イザヤ63章16節)なので神としての主は「父」、人間イエスは「兄弟」(マタイ28章10節)つまり、「長兄」(ローマ8章29節参照)です。

【問】《神の御言葉》主イエスが人間になったとは、《神が人間を担われ(引き受けられ)た》と解釈すべきということですが、それでは、主イエスから見た人類とは、何になりますか?
【答】神の立場では「子」(マタイ9章2節)、人間の立場では(特に相手が信者なら)「兄弟」(同28章10節)です。