試論:ヨハネ6章の「パン」を140文字以内で

【問】主イエスはヨハネ6章で御自分が人々に与える「パン」を説明されます。御自分が話される御言葉と解釈できるし実際の「肉」とも解釈できます。
【答】その「どちらか一方」ではなく「どちらも両方」です。ですからカトリックのミサでは必ず先にまず福音書が朗読され、後で御聖体拝領が行われます。

(注)別エントリー「試論:『パンと御言葉は不可分』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10226

【追記】

主は山上の説教で「神の義に飢え渇く人は幸い。その人は満たされる」と仰せになった。その理由はヨハネ6章35節で説明される。「わたしは命のパンである。わたしの許に来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」同7章37節「渇く人は、わたしの許で飲みなさい」。

(注)別エントリー「試論:『わたしが与える水』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10708

(注)別エントリー「試論:『根』と『水』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10855