【問】山上の説教の「悲しむ人は幸い。その人は慰めを受ける」は一体、何のことを言っておられるの?
【答】ルカ16章「金持ちとラザロ」の話が、それを説明しています。25節のアブラハムの言葉「ラザロは生きている間は悪いものをもらっていたが、今はここ(アブラハムの直近)で慰められている」。
(注)別エントリー「試論:『アブラハムのふところ』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】「アブラハムのふところ」という場所は現代に生きるわたしたちも死後に行く場所ですか?
【答】いいえ。アダムの時代から主イエスの御復活の時までの義人たちが行く場所です。この義人たちは、主の御復活つまり「復活の体」の創造の際に自分たちも「復活の体」を与えられて、天の国に入りました。
(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「主の御復活とともに創造された事柄とは」も参照のこと。
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主イエスは、ルカ9章の「主の変容」で三人の使徒に、「天上の体」(一コリント15章40節)すなわち死者の復活後の人間の姿(同章35節以下)をお示しになったが、当時三人の使徒は全く理解できなかった。「人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は愛する者たちに準備された」(同2章9節)。
(注)別エントリー「試論:ルカ9章『主の変容』を140文字以内で」も参照のこと。
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イザヤ65章17節以下では、「主によって『新しい天・地・エルサレム』が創造される」という驚くべき預言が啓示され、一コリント2章9節でパウロは「見聞きしても理解できず人間の心には思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」とイザヤ64章3節を引用し説明した。
主イエスは福音書で自身の御受難と御復活を随所で暗示されたが、御受難と御復活の間に御自分がどんな働きをなさるかについても、ヨハネ14章2節から3節で予告された。それはイザヤ65章17節以下の「新しい天・地・エルサレムの創造」預言の成就であり、御自身の復活の体の創造で完成の時を見た。