【問】「義に飢え渇く人は幸い」と言われても全然ピンと来ません。
【答】サムエル上24章18節の通り、古代のヘブライ人の「義」とは現代日本語の善意です。主イエスが人々に教えられた《善意》とは「他の人からしてもらいたいことはなんでもあなたから他の人にしなさい」(マタイ7章12節)です。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665
【追記】
【問】主イエスはマタイ7章12節の《キリストの律法》を、なぜ13節では「狭い門」と呼ばれましたか?
【答】御自分の弟子たちでさえ、特に遠い将来の御自分の弟子たちが、《キリストの律法》こそが御自分の御教えの真髄であるにもかかわらず、全く見向きもせずに聖書の他の箇所を探し回るからです。
【問】「義に飢え渇く人」とは善意に飢え渇く人のことですね?
【答】主イエスは「あなたたちの光を輝かせなさい」と仰せになりました。「光」もイザヤ58章の通り、善意や気配りや思いやり等の比喩です。科学技術の発達は人類に膨大な情報量をもたらしましたが人は情報だけでは決して満たされません。
【問】キリスト教に未来はありますか?
【答】近年の科学技術の発展は人類に膨大な情報量の入手を可能にしました。しかしそれらは人間が他の人間とどう関わるべきかという、人生で最も大切な原則を教えてくれません。それは「他人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他人にしなさい」です。
(注)別エントリー「試論:『休ませてあげよう』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/26681
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199