試論:聖書中の「信じる」とは?を140文字以内で

【問】主イエスはなぜヨハネ11章25節以下でマルタに、御自分を信じるかと再確認されましたか? いまさらの話では?
【答】聖書の「信じる」とは《確信している》《信じて疑わない》を意味します。20章でトマスは他の弟子たちほどの確信を持てなかったため、「わたしは信じない」と口にしました。

(注)別エントリー「ヨハネ20章25節『決して信じない』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/26578

【追記】

【問】「わたしは決して信じない」とは「一ミリたりとも信じない」「絶対に信じない」「わたしの信仰はゼロ」などの意味ですか。
【答】もしそうならトマスは他の弟子たちに別れを告げていたはずです。「決して信じない」とは「わたしは他の弟子たちのような納得には、どうしたって到達できない」です。

ヨハネ20章25節は、指や手を釘跡や脇腹に入れてみなければ自分は決して信じないとトマスが言ったと記す。この場合「信じる」は《確信を持つ》の意味合いである。ヘブライ人にとって信仰とは《確信》であり、どっちつかずの心理状態や言行不一致の状態は「信じる」「信仰」のうちには入らなかった。

(注)別エントリー「試論:詩編12編の意義を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20599

(注)別エントリー「試論:ヨハネ福音書の『信じる』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16417