試論:ダビデ王の「重荷」の原因を140文字以内で

ダビデは詩編38編5(4)節で、自分の過去の罪悪を「重荷」と呼び、以前の過失の記憶が神の御前で良心を責めると歌う。サムエル下11章の通りダビデは以前に家臣ウリヤの妻バト・シェバに横恋慕し、彼女を手に入れるために夫を激戦地の最前線に送り込み敵に殺させる、という非道な所業を実行した。

(注)別エントリー「試論:マタイ11章『重荷』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12973

【追記】

ダビデは詩編38編5(4)節で、自分の過去の罪悪を「重荷」と呼び、以前の過失の記憶が神の御前で良心を責めると歌う。主イエスはマタイ11章28節で「重荷を負い疲れた人はわたしの許へ来なさい。休ませよう」と仰せられ、「自分は悪くない」と開き直る人以外は救いの対象である旨を宣言された。

(注)別エントリー「試論:『休ませてあげよう』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6961

(注)別エントリー「試論:『疲れ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7376

ダビデは多くの妻がありながら家臣ウリヤの妻に横恋慕してつまずき、数多くの異邦出身の妻たちのためにソロモンはイスラエルに異教礼拝を持ち込むのを容認した。処女懐胎後の婚約者の妊娠に苦悩したが道を間違えなかったヨセフの姿は、女性に惑わされて道を誤ったダビデやソロモンとは雲泥の差がある。

(注)別エントリー「試論:『ソロモンの名声と堕落』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8441