試論:「受け継ぐ」を140文字以内で

ヘブライ6章12節「怠け者とならず信仰と忍耐によって、約束されたものを受け継ぐ人々に倣う者となってほしい」は、最後の審判の王であるキリストの仰せ「わたしの父に祝福された人々よ、天地創造の時からあなたたちのために準備されていた王国を受け継ぎなさい」(マタイ25章34節)を踏まえる。

(注)別エントリー「試論:『永遠の命を受け継ぐ』?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

主イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節で「正しい人」と呼ばれるが、25章の「最後の審判」においては「正しい人」は永遠の命が確約された人である。ルカ1章42節でマリアは「女の中で祝福された方」と呼ばれるが、マタイ25章34節では「祝福された人」は同じく永遠の命が確約された人である。

(注)別エントリー「試論:『神の母』聖書的根拠を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『義人』ヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『親しき仲にも礼儀あり』を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録20章やローマ5章は「悪に悪を返さない」ことを徹底して罪や悪と決別した人々を「バシレウオ(〔キリストとともに〕王となる)」という動詞で表すが、これはあくまで《義化の完成》を象徴する表現であり政治体制的な意味を含まず、彼らは「第二の死」を免れ「永遠の命」を得ると記されている。

(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『第二の死』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『最後の審判』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:黙示録20章の最後の審判を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ18章36節で、「わたしのバシレイアは、この世には属していない」と仰せになった。原文のギリシア語バシレイアは、聖書では「王権」「〔神の〕王国」を意味し、「王国の一人一人」まで包含する。黙示録1章6節でヨハネは、自分たちは既にその一部を構成していると書き記している。

箴言11章28節「憐れみの道にこそ命がある。この道を行く人に死はない」ルカ6章35節以下「敵に親切にし、善を行い、何も当てにせず貸しなさい。そうすれば、あなたたちはいと高き方であられる天の御父の子となり、大きな報いを受ける。あなたたちも天の御父のように憐れみ深い者になりなさい」。

(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はルカ6章40節で「弟子は先生より優れた者でないにせよ、普段から十分に心の準備を整えていれば、その先生のようになれる」と仰せになった。この箇所は内容的には36節の「あなたたちの天の御父が憐れみ深い方であられるように、あなたたちもまた、憐れみ深い者になりなさい」に結び付いている。

(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ5章9節「平和を実現する人は幸い。その人は神の子と呼ばれる」ルカ6章35節「敵であっても尊重し、善を行い、何も当てにせずに貸しなさい。そうすればいと高き方である天の御父から大きな報いがあり、あなたはその方の子となる。いと高き方は恩知らずや悪人にとっても善い方だからである」。