試論:異邦人を照らす啓示の光?を140文字以内で

「主の奉献」の際、ルカ2章32節でシメオンは幼子イエスを「異邦人を照らす〔啓示の〕光」と呼んだ。これはイザヤ42章の「主の僕(しもべ)」預言の「諸国の光」(6節)に対応するが、到来の徴は「目の見えない人の視力の回復」(7節)であることを、イザヤは35節の「救い主」同様に預言した。

(注)別エントリー「試論:『救い主の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「救いの創始者(ヘブライ2章10節)」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『剣』何の比喩?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

ルカ2章に登場するシメオンは、幼子イエスを抱きながら、マリアとヨセフの前で「万民のために整えてくださった救い」「異邦人を照らす啓示の光」と神を称えてイエスによってイザヤ9章1節の預言が成就することを語り、母マリアの苦しみ(ルカ2章35節)に関しても、シメオンは聖霊によって語った。

(注)別エントリー「試論:『神の母であること』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「主イエス・キリストがインマヌエルである理由」も参照のこと。
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詩編119編105節に「〔主よ〕あなたのことばはわたしの道の光」とあるが、「ことば」は神の御教えを指すのと同時に、ヨハネ1章1節では人々に御姿をお見せになり御教えを直にお話しになる主イエスの称号でもあり、主は御自分を同14章6節で「道」、同8章12節で「世の光」だと表現なさった。

(注)別エントリー「試論:ヨハネ14章6節の『道』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『世の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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