主は「体のともし火は目」と仰せになり、「目」つまり目つきやまなざしにはその人の内面が露呈されるものだと注意を促され、だからこそ「目の中にある、おが屑や丸太」という比喩で《あなたは相手の内面の小さな問題にはすぐ気付くくせに、自分の内面の大きな問題を直せないのか?》と注意を促される。
(注)別エントリー「試論:『主の戒めと目』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17563
【追記】
主は「体のともし火は目」と教えられた(マタイ6章22節、ルカ11章34節)。箴言6章17節は「主が憎まれ心からいとわれる」ものに「驕り高ぶる目」をまず挙げる。いくら笑顔を作っていても、相手を小馬鹿にしたような目つきをしているなら、誰がその人を神と関係のある人だなどと思うだろうか?