「主の変容」の後、主イエスは「人の子が死者の中から復活するまでは今見たことを誰にも話してはならない」と命じられた。使徒たちは「天上の体」(一コリント15章40節)を目撃したのだが、まず主の御復活前後の実体験を経た上で復活の意義を理解しなければ、「天上の体」の理解もないからである。
(注)別エントリー「試論:『人の子』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6888
【追記】
「主の変容」とは、一コリント15章でパウロが言及する
「天上の体」(40節)
を主イエスが実際に三人の使徒へお示しになった意義深い出来事で、パウロは「天上の体」を
「朽ちないもの」(42節)
「輝かしいもの」「力強いもの」(43節)
「霊の体」(44節)
「天に属する者」(47節)
等と呼ぶ。
「主の変容」の際、マタイ17章2節は「その顔は太陽のように輝き」と記すが、黙示録1章16節は天上におられるキリストを「顔は照り輝く太陽のようであった」と記し、まさに「主の変容」において三人の使徒は「天上の体」を目撃した。黙示録1章でヨハネは「主の変容」を思い出し主の足許に倒れた。
(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7812