主イエスはルカ21章22節でエルサレム滅亡をもって旧約聖書の全預言がことごとく成就すると仰せになり、また福音書でイザヤやダニエルの名に言及されたりしたが、エゼキエルの名には言及されたことが一度もなく、新約聖書全体でも彼の名は一度も登場せず、現代人が彼に特別な関心を抱く必然はない。
(注)別エントリー「試論:エゼキエル戦争を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』」も参照のこと。
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【追記】
ルカ24章のエマオでの御出現において主は、旧約聖書とは御自分について証しするものであり、実際その詳細について《全体》の説明を始めると、何時間あっても語り尽くせないことをお示しになった(27節)。主は以前にもユダヤの人々に対して同じ事柄をお話しになられていた(ヨハネ5章39節等)。
(注)別エントリー「試論:モーセが預言したキリストを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ5章46節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:旧約聖書を調べる意味を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:旧約聖書から何を学ぶの?を140文字以内で」も参照のこと。
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ルカ21章22節において、主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡をもって旧約聖書の預言が全て成就すると明言されており、それは紀元七〇年に現実のこととなった。従って、既に旧約聖書の預言が全て成就している以上、現代や近未来の世界情勢に関して旧約聖書の預言から考える行為は無意味である。
ルカ21章22節には「書かれていること」という言い回しが用いられているが、これはヨシュア記1章8節と同様に、「預言された事柄」「神から啓示された内容」などを意味する表現である。古代においては「書く(書いて記録に残しておく)」という行為それ自体が、非常に重要な意味を持つものだった。
ダニエル書9章では神殿とエルサレムの復興を強く願うダニエルの祈りに応えて、都と神殿の再建さらには救い主の到来までも約束されたが、救い主が不当に殺された後、モーセの律法を蹂躙する集団が神殿の聖所を占拠し、そして次に来る指導者の民が、都と神殿を無法集団もろとも、滅ぼし尽くして終わる。
(注)別エントリー「ダニエル書9章の『七十週』預言」も参照のこと。
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エゼキエル書38章には「マゴグのゴグ」預言があり、13節「タルシシュの商人」に関して古代のギリシア語聖書は「タルシシュ」を「カルタゴ」と解釈したが、商業国カルタゴは紀元前146年には既に滅亡しており、従って「マゴグのゴグ」預言はカルタゴ滅亡以前の時期に実現していなければならない。
19世紀前半の作家エドガー・アラン・ポーは、紀元前二世紀のシリア王アンティオコス四世エピファネスを題材にした、「エピマネス(狂人)」という作品を書いたが、その冒頭には「アンティオコス・エピファネスは、一般的に預言者エゼキエルのいうところのゴグと見なされている」などと記されている。
バビロン捕囚からの帰還と主イエス・キリストの御降誕との間の約五百年で、アンティオコス四世エピファネスによる迫害ほどイスラエル人にとって苛酷な惨劇はなかった。エゼキエル書38章で預言されている危機的状況をマカバイ記の時代の惨劇とは全く無関係と捉えるのは、やはり解釈として無理がある。
エゼキエル書38章で預言されている戦争において「ゴグ」の侵略目的は、「金銀」や「財産」や「家畜」の「略奪」ではないかと周辺から「非難」を受ける性質のものであり、現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、まして家畜の略奪が話題にされるような戦争が「世界最終戦争」であるわけがない。
エゼキエル書38章から39章に言及される軍隊の主力は騎兵部隊で現代人がイメージする近未来の戦争とは程遠く、また軍隊全体の武装も大盾・小盾・剣・兜・弓矢・棍棒・槍の類いで前近代的と形容せざるを得ず、この戦争を「世界最終戦争」とか「終末預言」とか言い立てるのは羊頭狗肉もはなはだしい。