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試論:黙示録1章7節を140文字以内で

古代のヘブライ人は《鋭く人間に迫り心に突き刺さる言葉》を「剣」にたとえた(ルカ2章35節等)。ならば当然、黙示録1章7節「彼を突き刺した者ども」は、実際には、「彼に激越な言葉を浴びせ情け容赦ない悪口で攻撃した者ども」を意味する。同節「地」はエゼキエル7章2節「地」とは同様である。

【追記】

古代のイスラエル人は《鋭く人間に迫り心に突き刺さる言葉〔の力〕》を「剣」にたとえた(詩編55編22(21)節等)。ゼカリヤ12章10節「彼ら自らが刺し貫いた」とはこの比喩を踏まえれば、当時の都の人々の中の少なくとも一部から、主が御受難の際に心ない罵声を浴びせられることを預言する。

マタイ13章34節以下には「これら全てをイエスは、たとえを用いて群衆に仰せになり、たとえを用いずには何事も語られなかった。それは預言者による啓示が実現するためであった。『わたしは口を開き、たとえを用いて天地創造の時から隠されていたことを告げる』(詩編78編2節)」と記されている。

(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7812

古代のイスラエル人は《鋭く人間に迫り心に刺さる言葉〔の力〕》を「剣」にたとえた(詩編55編22(21)節等)。この比喩を踏まえ、主イエスも「剣をもたらすために来た」(マタイ10章34節)と仰せになり、ルカ2章35節でも母マリアにシメオンが、この比喩を用いて御受難について預言した。

(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7823

(注)別エントリー「試論:『言葉は剣』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7862