ダニエル書9章の「七十週」預言について、伝統的なラテン語ヴルガタ訳に基づく解釈例を以下に示します。
まず「七十週」=70×7=490(年)という点が重要で、「定められている」と日本語訳されたヘブライ語(chathak – חָתַך)の原意が「切り取られる」という点も重要です。
一般には、
(A)「時の流れから七十週という期間が切り取られる」→「490年が定められる」→「490年が経過した時点で実現する」
と解釈されますが、
(B)「七十週という期間のそれ自体が切り取られる(ショートカットされる)」→「490年が予定されたが実際にはもう少し短い期間で実現する」→「490年以内に実現する」「490年が経過する時点までには必ず実現している」
という別の解釈もあります。
上に挙げた(A)と(B)の二つの解釈のうち、新ヴルガタを含めた現代の翻訳が(A)の解釈を採用する一方で、ギリシア語七十人訳と伝統的なラテン語ヴルガタ訳は(B)の解釈を採用しています。
例えば「定められている」と日本語訳された箇所を、ギリシア語七十人訳はローマの信徒への手紙9章28節にあるのと同じ語で「速やかに行われる(suntemnō – συντέμνω)」と解釈します。
また、伝統的なヴルガタ訳は「短縮される(abbrevio)」と表現しています。
ちなみに新ヴルガタでは、「定められている(decerno)」という別のラテン語の表現に置き換えられてしまっています。
「エルサレム復興と再建」(ダニエル書9章25節)について、ネヘミヤ記2章によれば、紀元前445年頃にペルシア王から書状が出され、それ以来、真の「油注がれた者(メシア)」イエス・キリストの到来まで、御降誕の時点で考えた場合でも公生活の開始の時点で考えた場合でもいすれにしろ、490年あるいは「七週」「また、六十二週」=(7+62)×7=483年よりも、実際にはもう少し短い期間で実現しました。
(以上、聖書の日本語訳は、新共同訳『聖書』日本聖書協会によりました)
(注)別エントリー「旧約聖書の預言書を研究する際の基本原則」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3859
〔追記〕
(以下、聖書の日本語訳は、特に注釈が加えられた場合を除き、基本的にフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』によります)
ダニエル書9章は、エルサレムそしてその神殿の再建を強く願うダニエルの祈り(3節~21節)及び、それに対する応答である「七十週」の預言(24節以降)とによって構成されている。
ということは「七十週」の預言とは必然的に、再建後のエルサレムとその神殿──すなわち、第二神殿の時代のエルサレムに関する預言であるとしか解釈できない。
ところが、このダニエル書9章の「七十週」預言については、ダニエルの時代から二千五百年以上そして主イエス・キリストの時代から二千年が経過した現代においてさえも、この預言を将来的に成就する事柄と捉えるという見解が未だに存在するというのも、確かに一つの現実である。
そこで、あらためて、このいわゆる「七十週」預言の構成と問題点に関して、再検討する。
まず、ダニエル書の預言の時代、ユダヤ人たちは祖国を滅ぼされ捕虜としてバビロンに連行されていた(バビロン捕囚)という歴史的事実があった。
◯ダニエル書9章5節(フランシスコ会訳)
「わたしたちは罪を犯し、不正を行い、邪(よこしま)な者になって反抗を続け、あなたの命令に従いませんでした。」
旧約の民すなわちユダヤ人たちが神に背を向け続けた結果がバビロン捕囚であるとの認識が、まずダニエル書9章の前提として存在するということである。
◯歴代誌下36章15節~16節(フランシスコ会訳)
「彼らの先祖の神、主は、使者たちを通じて彼らに警告し、何度となく警告された。ご自分の民と住まいを憐(あわ)れまれたからである。しかし、彼らは神の使者たちをあざけり、神の言葉をさげすみ、神の預言者たちを笑いものにした。そのために、主の怒りが民に対して燃え上がり、もはや容赦なかった」
◯エゼキエル書5章5節~9節、14節~15節(フランシスコ会訳)
「主なる神は仰せになる。これがエルサレムである。わたしはこの都を周辺の異国の民および諸国のただ中に置いた。しかしこの都は異国にもましてわたしの定めに逆らい、また周辺の国々にもましてわたしの掟に逆らった。わたしの定めを拒絶し、掟に従おうとはしなかった」
「それ故、主なる神は仰せになる。お前たちは周辺の異国の民以上に強情である。そのためわたしの掟に従わず、周辺の異国の民の定めほどにもわたしの定めを実践しなかった。主なる神は仰せになる。それ故、わたしはお前に制裁を加える。異国の民が注視する中、お前の間で裁きを下す。ありとあらゆる忌まわしい行為に対して、かつて行ったことがなく、またこれからも決して行わないことをお前に行う」
「通り過ぎ行くすべての者の目の前でお前を廃墟とし、周辺の異国の民のあざけりの的とする。怒りと憤り、激しい非難のうちにお前を裁くとき、お前は周辺の異国の民のあざけりの的、物笑い、また警告、恐れとなる。これを語ったのは主なるわたしである」
◯ダニエル書9章12節(フランシスコ会訳)
「神は恐ろしい災難をもたらすことによって、わたしたちに、また、わたしたちを支配した指導者たちに語られた言葉を成就されたのです。エルサレムに起こったようなことが、かつて、この天の下で起きたことはありませんでした」
【1】24節:まず「七十週」が「定められた」(または「切り取られた」)
◯ダニエル書9章24節(フランシスコ会訳)
「お前の民とお前の聖なる都に、七十週が定められている。それは反逆を終わらせ、罪を封じ、不義を償わせるため。永遠の正義をもたらし、幻と預言を確認させ、いとも聖なるものに油を注ぐためである。」
いうまでもなく、「お前の民」は、旧約の民すなわち、「全イスラエル」(11節)の民のことであり、「お前の聖なる都」は「あなたの都、聖なる山エルサレム」(16節)を指している。
また、「七十週」とは一週が七日であることから70×7=490(年)すなわち「四百九十年」のことであると一般的に解釈されている。
「定められている」と日本語訳されたヘブライ語(chathak – חָתַך)の原意は、「切り取られる」という点も重要である。
これらのことから、一般には、
(A)「時の流れから七十週という期間が切り取られる」→「490年が定められる」→「490年が経過した時点で実現する」
と解釈されるが、
(B)「七十週という期間のそれ自体が切り取られる(ショートカットされる)」→「490年が予定されたが実際にはもう少し短い期間で実現する」→「490年以内に実現する」「490年が経過する時点までには必ず実現している」
という別の解釈も存在する。
上に挙げた(A)と(B)の二つの解釈のうち、新ヴルガタを含めた現代の翻訳が(A)の解釈を採用する一方で、ギリシア語七十人訳と伝統的なラテン語ヴルガタ訳とは(B)の解釈を採用している。
例えば「定められている」と日本語訳された箇所を、ギリシア語七十人訳はローマの信徒への手紙9章28節にあるのと同じ語で「速やかに行われる(συντέμνω – suntemnō)」と解釈する。
また、伝統的なヴルガタ訳は「短縮される(abbrevio)」と表現している。
ちなみに、新ヴルガタでは、「定められている(decerno)」という別のラテン語の表現に置き換えられてしまっている。
そして、「いとも聖なるものに油を注ぐためである」という箇所は当然、続く25節の「油注がれた者」という表現につながっていくことになる。
【2】25節:エルサレムの復興そして第二神殿の再建そして「油注がれた者」の到来
◯ダニエル書9章25節(フランシスコ会訳)
「このことを知って、悟れ。エルサレムの復興と再建についてのみ言葉が出されてから油注がれた君の来られるまでが七週。そして六十二週の後、危機の時に、広場と堀が再建される。」
「エルサレム復興と再建」について、ネヘミヤ記2章によれば、紀元前四四五年頃ペルシア王から書状が出され、それ以来、真の「油注がれた者(メシア)」イエス・キリストの到来まで、御降誕の時点で考えた場合でも公生活の開始の時点で考えた場合でもいすれにしろ、490年あるいは「七週」「また、六十二週」=(7+62)×7=483年よりも、実際のところもう少し短い期間で実現した。
さて、神殿が存在した時代──とりわけ第二神殿時代のエルサレムにおいて、「広場」とは第一に「神殿の広場」(エズラ記10章9節、日本聖書協会新共同訳)が連想される表現である。
フランシスコ会訳ではエズラ記10章9節の表現は「神の宮の前庭」となっているが、ダニエル書9章25節の「広場」と、エズラ記10章9節の「前庭」または「広場」とを比較すると、原文で用いられているヘブライ語及び古代のギリシア語訳の表現がともに一致している。
つまり、ダニエル書9章25節の「広場」が再建されるという預言が意味することとは、「神殿の広場」が再建される──すなわち神殿それ自体が再建されるということに他ならない。
神殿が再建されなければ当然、「神殿の広場」も再建されることがないからである。
一方、「堀」という表現は、神殿以外の領域のエルサレムの都市機能もまた神殿の工事と並行して再建されることを、暗示しており、古代のギリシア語訳では、使徒言行録9章25節で「(町の)城壁」と日本語訳(フランシスコ会訳、新共同訳)されているものと同じ単語が用いられている。
すなわち25節の預言は、26節の「油注がれた者」の到来に先立つ時点で、既に神殿の所在地である都エルサレムが再建を果たしていることを、暗示しているわけである。
【3】26節(1):せっかく到来したメシア(=キリスト)が絶たれる
◯ダニエル書9章26節(フランシスコ会訳)〔前半部分〕
「六十二週の後、油注がれた者は絶たれ、彼にはない。」
26節の「油注がれた者」とは主イエス・キリストのことであると、カトリックの伝統においては理解されてきた。
◯ヨハネによる福音書5章39節~40節(フランシスコ会訳)
「あなた方は聖書を調べている。その中に永遠の命があると、思い込んでいるからである。だが、その聖書は、わたしについて証しするものである。それなのに、あなた方は、命を得るために、わたしの所に来ようとはしない」
この場合の「聖書」とは、旧約聖書を指している。
なぜなら、主イエス・キリストがこのことをお話しになられた時点では、まだ新約聖書は全く存在していないからである。
つまり主イエス・キリストは、旧約聖書とは第一義的に御自身について証しするための書物であると、この箇所において宣言なさったことになる。
また、このダニエル書9章26節の「彼にはない」という箇所に関しては、それではいったい何がないのかについて、さまざまな解釈が古代よりなされてきたが、少なくとも使徒言行録13章28節には、聖パウロによる一つの解答が提示されている。「油注がれた者(メシア、キリスト)」にはなかったもの──それこそまさに、「死に値する理由」であった。
◯使徒言行録13章26節~29節(フランシスコ会訳)
「アブラハムの子孫である兄弟たち、並びにみなさんの中にいて神を畏れ敬う方々、わたしたちのために、この救いの言葉は送られたのです。エルサレムに住む人たちとその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者たちの言葉をも理解せず、この方を罪に定めて、その預言を成就させました。死に値する理由は何一つ見出せなかったのに、彼らはピラトに、イエスを死刑にすることを求めました。こうして、イエスについて書かれているすべてのことが成就された後、彼らはイエスを木から下ろして墓に納めました」
日本聖書協会新共同訳のダニエル書9章26節〔前半部分〕では、「その六十二週のあと油注がれた者は 不当に断たれ」と表現されているが、「不当に」という訳語は、結果的に、「死に値する理由」がなかったという解釈に近いところに落ち着いている。
ちなみに聖ペトロは、ペトロの第一の手紙2章22節において、「キリストは、『罪を犯したことがなく、その口には何の偽りも見出されませんでした』」と、イザヤ書53章9節を引用して説明している。つまり、キリストにはなかったものとして、「罪を犯したこと」と「偽り」という二つを挙げているわけである。
また、ルカによる福音書23章41節には、「この人は何も悪いことをなさってはいない」という証言が記述されている。
さらに、ヨハネによる福音書18章38節には、「わたしはあの者に何の罪も見出(みいだ)せない」とある。
ヨハネの第一の手紙3章5節にも、「イエスが罪を除くために現れたこと、また、彼には罪がないことを、あなた方は知っています」と書かれている。
【4】26節(2):メシアが絶たれた後、ローマ帝国の大軍団がエルサレムへ進撃
◯ダニエル書9章26節(フランシスコ会訳)〔後半部分〕
「次に来る指導者の民によって都と聖所は荒らされる。その終わりは洪水。戦いの終わりまで荒廃が定められている。」
ここで再確認すると、ダニエル書9章は、エルサレムそしてその神殿の再建を強く願うダニエルの祈りと、それに対する応答としてのいわゆる「七十週」の預言から構成されている。つまり「七十週」の預言とは必然的に、再建後のエルサレム及び神殿──すなわち第二神殿の時代のエルサレムに関する預言であるとしか解釈できない。
そこで「次に来る指導者の民」がローマ帝国の国民であり、「都」はエルサレム、「聖所」はエルサレム神殿の聖所と考えると、まさにその出来事は、紀元七〇年に起こった。ヨハネ福音書11章48節の「ローマ人が来て、われわれの土地と国民とを征服してしまう」との比較に注意。ここでの「洪水」とは怒濤の勢いで大軍団が殺到する光景の比喩的な表現であるのと同時に、その襲来によって全てが一掃され跡形もなくなってしまうことをも暗示している。ヨハネ福音書11章で最高法院の人々は、「もしもユダヤ人が、イエスこそダニエル書9章に預言されているメシアすなわちキリストであると信じてしまうならば、その次に来たる事態はローマ人によるエルサレムと神殿との滅亡である」という論理で、イエスの殺害を正当化しようとしたのである。
◯ヨハネによる福音書11章45節~53節(フランシスコ会訳)
「さて、マリアの所に来ていて、イエスの行われたことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々の所に行き、イエスの行われたことを告げた人もいた。そこで、祭司長たちやファリサイ派の人々は、最高法院を召集して言った、『この人は多くの徴(しるし)を行っているが、われわれはどうしたらよいのか。このままにしておけば、みなが彼を信じるようになる。そうなると、ローマ人が来て、われわれの土地と国民とを征服してしまうだろう』。その中の一人で、その年の大祭司であったカイアファは言った、『あなた方は、何も分かっていない。一人の人間が民に代わって死に、国民全体が滅びないほうが、あなた方にとって得策であることを、考えていない』。カイアファは自分勝手にこう言ったのではない。その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死ぬようになること、いや、国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬようになることを、預言したのである。そこで、彼らはこの日以来、イエスを殺そうと決めた」
(注)別エントリー「『荒廃をもたらす憎むべきもの』とは何か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/84
ローマ帝国軍によるエルサレムそしてその神殿の滅亡を、まさに同時代の目撃者でもあったユダヤ人の歴史家ヨセフスは、ダニエル書に記された預言の成就であると見なした。
ユダヤの歴史に関する著作においてヨセフスは、当然ながら預言者ダニエルについて言及し、またダニエル書の預言が成就したのは、歴史上、二度にわたっていることを、書き記した。
すなわち一度目はアンティオコス・エピファネスの時代(ユダ・マカバイの時代)のことであり、二度目はローマ軍によるエルサレム(そして第二神殿)滅亡の時であると、ヨセフスは説明した。
結局のところ、この26節では、「メシア(キリスト)の死」が時系列的に「エルサレム及び第二神殿の滅亡」に先んじることが、預言されている。
【5】27節(1):ローマ人たちはユダヤの大反乱に対してどのように対処したのか
◯ダニエル書9章27節より〔第一部分〕(フランシスコ会訳)
「彼は一週の間、多くの者と固く同盟を結び、週の半分の間、犠牲(いけにえ)と献(ささ)げ物を廃止させる。」
紀元六六年に勃発したユダヤにおける大反乱は、最終局面となる紀元七三年のマサダ制圧までの「一週」すなわち七年の間、ローマ帝国の手を煩わせることとなった。
しかし、27節の「彼」すなわち、26節の「次に来る指導者」である(後のローマ皇帝となる)ローマ軍の司令官ウェスパシアヌスは、決して全てのユダヤ人が大反乱を支持しているわけなどではないことを、十分に理解していた。
そもそも、大反乱が勃発する以前にユダヤに君臨していたヘロデ・アグリッパ二世(使徒言行録では「アグリッパ王」として登場)からして、大反乱には全く賛同せずに、「親ローマ」という態度を崩さなかった。
ヘロデ・アグリッパ二世の代には、既にローマ帝国によってヘロデ王家はかなりの実権を奪われており、使徒言行録では「王」と呼ばれているものの事実上は地方領主と言えるまで支配地域も制限されていたが、曾祖父ヘロデ大王の時代からユダヤ人たちに不人気であったヘロデ王家にすれば、どこまでもローマに従属する以外に生き延びる道はなかった。
ただ、ヘロデ・アグリッパ二世は、ローマ帝国に政治的な実権は大きく制限されていたとはいえ、ローマ帝国からはエルサレム神殿を監督する権限を認められており、大反乱の勃発までは大祭司職の任命あるいは解任さえ可能であった。
その意味では大反乱の勃発までは、やはりヘロデ・アグリッパ二世はユダヤ人たちに大きな影響力を及ぼすことのできる存在ではあったものの、大反乱の勃発によってユダヤでは居場所を失うこととなってしまった。
大反乱の指導者たちは首都エルサレムの市民をローマに対する戦争に駆り立てるため、一種の恐怖政治的な強権支配を行なっていたが、ウェスパシアヌスはまずエルサレム以外のユダヤの諸都市を制圧していく一方で、反乱の指導者たちに嫌気が差していた親ローマ感情を持つユダヤ人の有力者たちを少しずつ味方に取り込んでいくことで、反乱軍の内部崩壊を促していく長期戦略を立てた。
エルサレム市民の中には、ローマの支配下でそれなりに繁栄していた時代を懐かしみ、実はローマとの和平を希求する人々も少なからず存在していたのである。
皇帝ネロによってユダヤ大反乱鎮圧のための司令官に任命されたウェスパシアヌスが、あえて急ぐことなく下準備に数年もの時間をかけてエルサレムを攻略する長期戦略を立てた理由は、前任者の失敗の教訓を受けてのものであった。
彼の前任者は、当時世界最強勢力であったローマ軍が大挙して押し寄せればユダヤの反乱など容易に鎮圧できるとばかりに、エルサレムに進撃したが、都を占領寸前まで行きながらなぜかいったん撤退を始め、追撃戦を挑んだユダヤの反乱軍に思わぬ惨敗を喫し、大いに面目を失っていた。
やがてローマ帝国でネロ皇帝に対する反乱が起こりネロは自殺、その後しばらく続いたローマ帝国の内戦を終わらせ自身がローマ皇帝となったウェスパシアヌスは、都を強権支配していた武装勢力に対して反感を抱く多くのユダヤ人を取り込みながら、ついに紀元七〇年に至り、エルサレム攻略に着手した。
ただしエルサレム神殿については、紀元七〇年における滅亡後も、ローマ帝国から再建を許されることが決してなかった。「犠牲(いけにえ)と献(ささ)げ物を廃止させる。」という箇所が預言していることは、宗教施設としての機能を回復させることをローマ帝国が絶対に認めなかった事実に他ならない。「週の半分」すなわち三年の後の紀元七三年に反乱軍の最後の拠点であるマサダが制圧され、大反乱が完全に終息した後も、ローマ帝国はエルサレム神殿の再建を決して認めようとはしなかった。
結局エルサレム神殿における「犠牲(いけにえ)と献(ささ)げ物」の伝統は廃れたまま21世紀の現代に至っている。
ローマ帝国が大反乱の鎮圧後もエルサレム神殿の再建を決して認めようとしなかったのは、大きく二つの理由による。
一つは、エルサレム神殿がユダヤ本土からのみならず世界各地に離散している全てのユダヤ人たちからも集めていた「神殿税」(マタイ福音書17章24節および出エジプト記30章11節〜16節参照)こそが、エルサレムの莫大な富の源泉であり、まさに、この莫大な富こそが今回の大反乱の資金源であり原動力に他ならなかったと、ローマ人たちが見なしていたからである。
そしてもう一つは、今回の大反乱の重要局面において、壮大な建造物であったエルサレム神殿それ自体が、堅固な要害としてローマ軍の前に立ちはだかった、という点である。
二世紀前半のローマ人の歴史家タキトゥスの著作を読む限り、当時のローマ人たちはユダヤの宗教にはあまり関心を持っておらず、ローマの支配に対し従順である限りできるだけユダヤ人の自由に委ねようという姿勢であったと、感じられる。しかし、今回の大反乱においては、あらゆる意味でユダヤ人の中心に存在したのがエルサレム神殿(第二神殿)であった。
大反乱の再発を懸念したローマ人たちは紀元七〇年以降、ユダヤ人たちにエルサレム神殿の再建を決して許しはしなかった。
なお紀元七〇年当時、ヘロデ王家のユダヤ以外にもローマの保護下に入ることで存続を認められていた比較的小規模の王国が中東にはいくつか存在し、それらの小王国の王たちはローマの新皇帝の歓心を買うためにも、ウェスパシアヌスと固く同盟を結びエルサレム攻略に参戦を表明した。
そしてヘロデ大王の曾孫に当たる「アグリッパ王」すなわちヘロデ・アグリッパ二世も、新皇帝のウェスパシアヌスと固く同盟を結び、自分の軍隊を率いてローマ帝国側に立ってエルサレム攻略戦に参加していた。
ヘロデ・アグリッパ二世は、曾祖父ヘロデ大王の代から自分の代まで、実に八十年以上にわたって大拡張工事を行い続けたエルサレム神殿──かつては自身が監督権を行使し、ようやく六年ほど前に大拡張工事を竣工させたばかりのエルサレム神殿を滅亡させる戦いに、参加していたのである。
【6】27節(2):マカバイ記の時代に「荒廃をもたらす憎むべきもの」が実際に登場した
◯ダニエル書9章27節より〔第二部分〕(フランシスコ会訳)
「荒廃をもたらす憎むべきものが翼の上に座す。」
フランシスコ会訳の欄外の注には、「『翼』は祭壇についていた四つの角を指す。」とある。
この箇所の「荒廃をもたらす憎むべきもの」の登場は、マカバイ記の時代すなわち紀元前一六七年頃に実際に起こったことが、マカバイ記一の1章54節に記録されている。
◯マカバイ記二5章1節、23節~24節(フランシスコ会訳)
「そのころ、アンティオコスは、第二次エジプト遠征の準備をしていた」
「ユダヤ人に対する敵意を抱いて、アンティオコスはまた、ムシア人の指揮官アポロニオスに二万二千の軍を率いさせ、成人男子をことごとく虐殺し、女や子供を奴隷として売り払うよう命じた」
◯マカバイ記一1章20節~24節(フランシスコ会訳)
「エジプトを打ち破った後、アンティオコスは第百四十三年に帰途に就き、強大な軍勢を率いてイスラエルに向かって上り、エルサレムに入城した。そして、不遜にも聖所に入り、金の祭壇、ともしび台をはじめ、そのすべての調度、供えのパンのための机、奉納酒用の杯、椀、金でできた香の十能、垂れ幕、冠を奪い、神殿の正面にあった金の飾りを、ことごとくはぎ取った。彼はまた銀と金と高価な器を取り、隠されていた宝も見つけ出して奪い取った。彼はこれらのすべてを携えて自分の地に帰っていった。彼は人々を虐殺し、大言壮語した」
◯マカバイ記一1章54節~57節(フランシスコ会訳)
「さて、第百四十五年のキスレウの月の十五日に、王は焼き尽くす献(ささ)げ物の祭壇上に『荒廃をもたらす憎むべきもの』を築き、また周囲のユダの町々に異教の祭壇を築いた。人々は家々の戸口や通りで香をたき、見つけ出した数々の律法の書を、ばらばらに引き裂き、火で焼いた。誰であれ契約の書を持っていたり、律法を守っていることが分かると、王の命令に従って死刑に処せられた」
またマカバイ記二には、次のように記されている。
◯マカバイ記二6章1節~3節、5節(フランシスコ会訳)
「その後しばらくして、王はアテネ人の一人の老人をユダヤ人の所に遣わし、彼らが先祖の律法を捨て、神の律法に従って生活しないように強要した。またエルサレムの神殿をゼウス・オリンポスに、ゲリジム山の神殿を、その場所に住む人々の願いによって、よそ者の守り神ゼウスにささげ、それらを汚(けが)させた」
「醜くかつ耐えられないほどの悪が、すべての人の上に及んだ」
「祭壇は律法によって禁止された忌むべき物で覆われた」
マカバイ記一とマカバイ記二とを比較すると、マカバイ記一1章54節において登場した「荒廃をもたらす憎むべきもの」に対応しているのは、マカバイ記二6章5節の「律法によって禁止された忌むべき物」であることが明らかとなる。
異教を強要しようとするシリア王アンティオコス・エピファネスの暴挙に対しては、心ある敬虔なユダヤ人たちは当然ながら次のように反応した。
◯マカバイ記一2章7節(フランシスコ会訳)
「何と悲しいことだ、どうしてわたしは生まれたのか。わたしの民の滅亡と、聖なる都の滅亡とを見るためだったのか。都が敵の手に渡され、聖所が他国の者たちの手に渡されたこの時、ここに住むためだったのか」
ユダ・マカバイと彼の一族を中心とする人々がアンティオコス王に対する反乱を起こし、最終的に宗教的・政治的独立を果たす過程がマカバイ記一とマカバイ記二には記述されている。
(注)別エントリー「ダニエル書7章:地上に興る第四の王国」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4631
マカバイ記の時代、神殿の祭壇上に「荒廃をもたらす憎むべきもの」が築かれたのは「第百四十五年のキスレウの月の十五日」のことであった(マカバイ記一1章54節)。
そして、それが撤去されてユダ・マカバイたちが祭壇を新たにし、神殿の清めを終えてその奉献を行なったのは、「第百四十八年の第九の月、すなわちキスレウの月の二十五日」(マカバイ記一4章52節)であった。
つまり、アンティオコス・エピファネス王が築いた「荒廃をもたらす憎むべきもの」によって被ることになった荒廃の時代は、現実的には三年より少し長い期間で終わったのである。
しかし、マカバイ記の時代に「荒廃をもたらす憎むべきもの」が実際に登場してから約二百年の後(紀元三〇年前後)、主イエス・キリストは、この「荒廃をもたらす憎むべきもの」を再び問題にされて近未来に起こるであろう事態について語られた。
◯マタイによる福音書24章15節~16節(フランシスコ会訳)
「預言者ダニエルによって言われた『荒廃をもたらす憎むべきもの』が聖なる場所に立つのを見たなら、──読者は悟れ──その時、ユダヤにいる人は山に逃げなさい」
ダニエル書9章の預言に登場するこの「荒廃をもたらす憎むべきもの」が、主イエス・キリストによって再び問題にされたということは、ダニエル書の預言がマカバイ記の時代に全て成就したわけではなかったことを意味している。マカバイ時代から約二百年を経て、主イエス・キリストは再び「荒廃をもたらす憎むべきもの」と次に示す神殿の滅亡とを、マタイ24章で話題にされているのである。
フランシスコ会聖書研究所訳マタイ24章15節の「荒廃をもたらす憎むべきもの」は、新共同訳では「憎むべき破壊者」、バルバロ訳では「<荒らす者のいとわしいもの>」、ラゲ訳では「『いと憎むべき荒廃』」、日本聖書協会口語訳では「荒らす憎むべき者」などの表現で訳されている。これは下記のマルコ13章14節の場合も同様である(日本聖書協会口語訳では「荒らす憎むべきもの」)。当時のユダヤ世界において「聖なる場所」と言えばエルサレムの神殿とりわけその聖所に他ならない。従って、マタイ24章15節が予告している出来事が起こるのは、ローマ帝国軍によるエルサレム神殿滅亡(紀元七〇年)以前ということになる。なぜなら、エルサレムの市街地は神殿を囲むように存在していたため、ローマ軍による聖所の占領以前の時点で既にエルサレムの町は破壊し尽くされており、ローマ軍の神殿占拠を目撃した後では、山に逃げるタイミングとしては遅過ぎるのである。それゆえ、「荒廃をもたらす憎むべきもの」あるいは「憎むべき破壊者」とは、ローマ軍のことではなく、それ以前に神殿の聖所を占拠していた別の何かということになる。
◯マタイによる福音書24章1節~3節(フランシスコ会訳)
「イエスが神殿の境内を出ていかれると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに神殿の建物を指し示した。すると、イエスは仰せになった、『あなた方はこれらのすべてを見ているのか。あなた方によく言っておく。積み上げられた石が一つも残らないまでに、すべてが破壊される』」
◯マルコによる福音書13章1節~2節(フランシスコ会訳)
「さて、イエスが神殿の境内を出られると、弟子の一人が言った、『先生、ご覧ください。何と素晴らしい石、何と素晴らしい建物でしょう』。すると、イエスは仰せになった、『あなたはこれらの壮大な建物を眺めているのか。積み上げられた石が一つも残らないまでに、すべては崩されるであろう』」
◯マルコによる福音書13章14節(フランシスコ会訳)
「さて、『荒廃をもたらす憎むべきもの』が立つべきではない所に立つのを見たなら、──読者は悟れ──その時、ユダヤにいる人は山に逃げなさい」
紀元六六年に勃発したユダヤ人のローマ帝国への大反乱において、前線から首都エルサレムに撤退した敗残兵たちは地方から都に流れ込んで来た無法者たちと結託して武装勢力を形成、神殿の聖所を占拠してそこを根城にエルサレム市民たちに対し虐殺や略奪など暴虐の限りを尽くし、また先祖伝来の律法に背く行為を市民たちに強要した。当初は武装勢力を自分たちの守護者と見なしていたエルサレム市民は、こんなことならばローマ軍の手に落ちた方がよほどましだと考えて、城外への脱出を試みる者たちが続出した。マルコ13章14節の「立つべきではない所」とは、マタイ24章15節の「聖なる場所」と同様に神殿の聖所を意味している。
しかしそれ以前、まだ大反乱が勃発した初期の段階で、都に残存していたローマ軍をユダヤの反乱軍が降伏させた際、こともあろうに安息日にも関わらずローマ兵たちを虐殺して聖なる都とされたエルサレムを血に染めた反乱軍の所業を目撃していた市民たちの中には、理由はどうあれこのようなことが起こったからには近い将来、恐ろしい惨劇が必ずや都を見舞うに違いないと悲観し、都を離れ去って行く者たちが相次いだ。
不幸にして、やがて彼らの懸念は遠からず現実のものになった。
ヨハネによる福音書11章55節に「多くの人々は身を清めるために、過越の祭りの前に、地方からエルサレムへ上った」とあるように、イエス・キリストの公生活の時代であれ、それからおよそ四十年後の大反乱の時代であれ、一世紀当時のユダヤ社会では、神殿が存在するエルサレムという都それ自体が清めの場であり大きな意味での神殿に含まれるという概念が存在し、支配的だった。しかし、ローマ帝国に対する大反乱の時代にエルサレムを支配していた武装勢力は、都を流血の巷に変えてしまい荒廃させてしまった。
その事件からおおよそ四十年前には、ユダヤの人々はイエス・キリストに対して、安息日に病気を治したことについて、再三にわたり強く詰っていた──もしも、安息日に病人を癒したことさえも批判の対象とされてしまうのであれば、安息日に多くの人々を殺し、神が住まわれると見なされていた神殿の存在する聖なる都を血で汚(けが)してしまった所業は、どれほど神の御前では厳しく裁きを受けることだろうか──エルサレムの心ある人々は、同じユダヤ人である反乱軍による行為に、恐怖した。
(ちなみにルカ福音書14章でイエス・キリストは、「あなた方の息子か牛が井戸に落ちたとき、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」(5節)と仰せになり、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちの問いに答えられた)
◯レビ記26章2節
「お前たちはわたしの安息日(あんそくじつ)を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。」
反乱軍が事実上エルサレムを支配し始めると、まず安息日の掟が上記のような経緯でないがしろにされ始め、そこからやがてはモーセの律法全体をないがしろにする無法集団の出現へと至ったわけである。
(注)別エントリー「『ヘブライ人への手紙』が書かれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2286
ちなみに、紀元六九年(エルサレムの滅亡の前年)春、三派が分立した武装勢力の指導者の一人、シモン・バル・ギオラがエルサレムに入城した際、その支持者たちはオリーブの枝を手にして歓呼の声を上げながら指導者を迎え入れた。
その三十数年前の春、主イエス・キリストが都エルサレムに入城なさる際の光景を、ヨハネによる福音書12章12節〜13節は、「祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、棗椰子(なつめやし)の枝を手に取り、迎えに出ていき、そして叫び始めた、『ホザンナ。ほめたたえられるように、主の名によって来られる方、イスラエルの王』」と記述している。
また同じくヨハネによる福音書5章43節には、主イエス・キリストの御言葉として、「わたしは父の名によって来たのに、あなた方はわたしを受け入れない。もし、ほかの者が自分の名によって来れば、あなた方はその人を受け入れる」と書き記されている。
【7】27節(3):主イエス・キリストの予告と第二神殿の滅亡──旧約時代の終焉
◯ダニエル書9章27節より〔第三部分〕(フランシスコ会訳)
「そしてついに、定められた破滅が、荒廃をもたらすものに注がれる。」
◯マタイによる福音書23章35節~39節(フランシスコ会訳)
「こうして、正しい人アベルの血から、あなた方が聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカリヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなた方の上に降りかかる。あなた方によく言っておく。これらのことはみな、今の時代に降りかかるであろう」
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ。雌鳥が翼の下に雛を集めるように、わたしはいく度、あなたの子らを集めようとしたことであろう。しかし、あなた方はそれに応じようとしなかった。見よ、あなた方の家は荒れ果てたまま、見捨てられる。わたしは言っておく。あなた方が、『主の名によって来られる方に祝福があるように』と言う時まで、あなた方は決してわたしを見ることがない」
「あなた方の家」とは旧約の民にとっての神の住まいすなわちエルサレムの神殿である。歴代誌下36章15節の「住まい」も同じで、同節の「ご自分の民」は旧約の民のことである。
◯ルカによる福音書11章50節~51節(フランシスコ会訳)
「この時代は、世の初めから流された、すべての預言者の血の責任を問われる。それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカリヤの血に至るまで及ぶ。そうだ、あなた方に言っておく。この時代はその責任を問われる」
マタイ23章36節やルカ11章50節そして51節に登場する「時代(γενεά – genea)」という表現は、七十人訳の詩編95(94)編10節の「世代」と同じギリシア語表現であるが、詩編のこの節では「世代」は「四十年」を意味する。
主イエス・キリストの公生活においてエルサレムの滅亡が予告された後、実際に都の滅亡が始まるに至る期間は、おおよそ四十年であった。
◯ルカによる福音書19章28節、41節~44節(フランシスコ会訳)
「さて、イエスはこれらのことを語り終えると、先頭に立って、エルサレムへ上って行かれた」
「都に近づき、イエスは都をご覧になると、そのためにお泣きになって、仰せになった、『もしこの日、お前も平和をもたらす道が何であるかを知ってさえいたら……。しかし今は、それがお前の目には隠されている。いつか時が来て、敵が周囲に塁壁を築き、お前を取り囲んで、四方から押し迫る。そして、お前と、そこにいるお前の子らを打ち倒し、お前のうちに積み上げられた石を一つも残さないであろう。それは、訪れの時を、お前が知らなかったからである』」
◯ルカによる福音書21章20節~24節(フランシスコ会訳)
「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいているのを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人は山に逃げなさい。また、都にいる人はそこを立ち去り、地方にいる人は都に入ってはならない。それは、書き記されていることがすべて成就される、報復の時だからである。それらの日に、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸である。地上には深い苦悩が、この民の上には神の怒りが臨むからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国に連れていかれる。そして、異邦人の期間が満たされるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる」
「軍隊」はルカ19章43節の「敵」と同様にローマ軍に他ならないが、ローマ軍がエルサレムを包囲した時点で神殿の聖所を占拠していたのは、無法集団と化していたエルサレム市内の武装勢力であった。よってマタイ24章15節やマルコ13章14節との比較から、この無法集団こそが「荒廃をもたらす憎むべきもの」「憎むべき破壊者」ということになる。エルサレム市内において無法集団は、略奪や暴行そして虐殺また放火にいたるまであらゆる悪事をほしいままにしていた。
ルカ福音書のこれらの引用箇所では紀元七〇年のエルサレム滅亡について語られている。ルカ19章44節の「訪れ」とは「主の来臨」に他ならない。そしてルカ21章21節において主イエス・キリストは、エルサレムが包囲されようとしている時にはその都を脱出すべきであると警告され、また地方にいる人々は山に逃げるべきでエルサレムがいかに堅固な都であろうとそこに入って籠城すべきではないとも警告された。
大反乱の初期段階には、ローマ帝国との戦争という事態を受けて将来に不安を抱いたエルサレムの人々は、まだ自分の意思で都を離れ去って行くことが可能だったが、やがて都を支配する武装勢力は、エルサレム市民が都を出て行くことは結果的に敵であるローマを利する行為だとして、市民がエルサレムを離れることを禁じ、この禁を破ろうとする者たちに対しては生命を奪うことすら躊躇しなかった。
よって、既にイエス・キリストの「都にいる人はそこを立ち去り」「山に逃げなさい」という警告に従って行動すると予め決めていた人々は、いつまでも都エルサレムに未練を残して行動に移さずにいるわけにはいかなかったのである。
ローマ帝国でネロ皇帝に対する反乱が起こり、ネロの自殺後ローマ帝国が内戦状態に入り、ローマ軍の脅威がいったん去ったかのように見えると、三派が割拠した状態でエルサレムを支配していた武装勢力は、市民たちをも巻き込んで血で血を洗う内部抗争を展開した。
大反乱の時期のエルサレムにおいては、それぞれの武装勢力各派が敵対する勢力の支配地域を攻撃する際、穀物市場に放火して小麦だろうと大麦だろうと焼き払う、という蛮行が行なわれていた。
ユダヤ人の歴史家ヨセフスやローマ人の歴史家タキトゥスが、大反乱の時期のエルサレムで大量の穀物が焼き払われていたことを書き残しており、さらにユダヤの伝承の集大成であるタルムードにおいてまでも、武装勢力がエルサレム市民を対ローマ戦争に駆り立てる目的であえて小麦や大麦を焼き払って見せたことが記録されている。
◯ヨハネの黙示録6章5節〜6節(フランシスコ会訳)
「小羊が第三の封印を解いたとき、わたしは第三の生き物が『出てこい』と言うのを聞いた。そして、わたしは見た。見よ、一頭の黒い馬が現れた。それにまたがっている者は、手に天秤(てんびん)を持っていた。そして、わたしは四つの生き物の中から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた、「小麦一升は一デナリオン、大麦三升は一デナリオン、オリーブ油とぶどう酒には害を加えてはならない』」
(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699
最終的に、滅亡を前にしたエルサレムは深刻な食糧不足そして飢饉に苦しむこととなった。
◯ヨハネの黙示録6章7節〜8節(フランシスコ会訳)
「小羊が第四の封印を解いたとき、わたしは第四の生き物が『出てこい』と言うのを聞いた。そして、わたしは見た。見よ、一頭の青白い馬が現れた。それにまたがっている者の名は『死』であり、その後ろには陰府(よみ)が従っていた。彼らには、剣と飢饉(ききん)と死病と地上の野獣によって、地上の四分の一の人々を殺す権力が与えられた」
黙示録6章8節の記述を目にした紀元一世紀後半のユダヤ人キリスト教徒の多くは、次の瞬間にはエゼキエル書14章の次の箇所を連想したに違いない。
◯エゼキエル書14章21節~23節(フランシスコ会訳)
「まことに、主なる神は仰せになる。剣、飢饉、獰猛(どうもう)な獣(けもの)、疫病という四つのきびしい裁きをエルサレムにもたらし、その地の人間と獣を滅ぼす時はなおさらである。しかし、そこには必ず生き延びる者を残しておく。息子や娘たちは救い出され、お前たちのもとへ帰ってくる。お前たちは彼らの歩みと行いを目にして、わたしがエルサレムにもたらした災い、そこにもたらした出来事のすべてに慰めを見出(みいだ)す。お前たちは彼らの歩みと行いを目にして、彼らによって慰めを得る。その時、わたしがわけもなくその地に災いをもたらしたのではないことをお前たちは知るだろう──主なる神の言葉。」
ただし黙示録6章8節もエゼキエル書14章21節も、その「おおもと」となる言い回しは、既に申命記32章における「モーセの歌」の中に存在していた。これもまた紀元一世紀後半のユダヤ人キリスト教徒にとっては、もとより熟知していた箇所であろう。
◯申命記32章23節~25節(フランシスコ会訳)
「わたしは、彼らの上に災いを増し加え、わたしの矢を彼らに向けて射尽くす。彼らは飢えて痩せ衰え、熱病と激しい疫病で滅びる。わたしは野獣の牙(きば)を、地を這うものの猛毒とともに彼らに送る。外では剣(つるぎ)が殺し回り、家の内では恐れが、若い男にも女にも、乳飲み子にも白髪の老人にも等しく襲いかかる。」
また、レビ記26章には次のように書かれている。
◯レビ記26章2節【再掲】(フランシスコ会訳)
「お前たちはわたしの安息日(あんそくじつ)を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。」
◯レビ記26章3節~5節、6節~7節、11節~12節、14節~16節(フランシスコ会訳)
「もしお前たちがわたしの掟(おきて)に従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行うなら、わたしはお前たちに季節に応じて雨を降らせる。大地はその産物を生じさせ、畑の木はその実を結ぶであろう。お前たちの脱穀作業はぶどうの収穫まで続き、ぶどうの収穫は麦の種(たね)蒔(ま)きまで続くであろう。お前たちは飽きるほどのパンを食べ、お前たちの土地に安心して住むであろう。」
「わたしはこの地に平和を与える。お前たちは何も恐れることなく眠るであろう。またわたしは悪い獣(けもの)をこの地から取り除く。剣(つるぎ)がお前たちの土地を通り過ぎることはないであろう。」
「わたしはお前たちのうちにわたしの住まいを置く。わたしの心がお前たちを忌み嫌うことはないであろう。わたしはお前たちの間を巡り歩き、お前たちの神となり、お前たちはわたしの民となるであろう。」
「しかし、もしお前たちがわたしに聞き従わず、これらのすべての命令を行わないなら、また、もしお前たちがわたしの掟を拒み、お前たち自身がわたしの定めを忌み嫌い、わたしのすべての命令を行わず、わたしの契約を破るなら、わたしはお前たちに次のことを行うであろう。すなわち、お前たちの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって目を見えなくさせ、体を衰弱させるであろう。お前たちが種を蒔いても無駄となるであろう。お前たちの敵がそれを食べ尽くすからである。」
そしてルカによる福音書21章22節には、「それは書き記されていることがすべて成就される、報復の時だからである。」とあり、ここにおいて主イエス・キリストは、エルサレムの滅亡(紀元七〇年)をもって旧約聖書の預言が全て成就し、旧約時代──すなわち、エルサレム神殿の時代が完全に終焉を迎えることを、明らかにされた。
(新共同訳では「書かれていることがことごとく実現する報復の日」、バルバロ訳では「書き記されているすべてのことの実現する報復の日」、ラゲ訳では「これ刑罰の日にして、書きしるされたること、すべて成就すべければなり」、日本聖書協会口語訳では「聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日」の表現である)
エルサレムそして第二神殿の滅亡とそれに関連する諸々の出来事をもって、旧約聖書の全ての預言がことごとく成就することを、ルカ21章22節において主イエス・キリストは宣言されている。
従って、ダニエル書の「七十週」預言も、二世紀以降の歴史的出来事とは基本的に関係はない。
ましてや21世紀の現代あるいは近未来の世界情勢とは関わりがあろうはずはない。
◯ルカによる福音書13章34節~35節(フランシスコ会訳)
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ。めん鳥が翼の下に雛を集めるように、わたしはいく度、お前の子らを集めようとしたことであろう。しかし、お前たちはそれに応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。わたしは言っておく。お前たちが、『主の名によって来られる方に祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない」
紀元七〇年のエルサレム滅亡後、城外へと通じる秘密の地下通路を利用して武装勢力の指導者たちは逃亡を図ったが、その多くが結局はローマ軍に捕われることとなった。
ある有力な指導者だけは脱出に成功して、最後の抵抗戦を行なうべく死海西岸近辺のマサダに立て籠ったが、「週の半分」が経過しようとする紀元七三年にはマサダも陥落、大反乱は終焉を迎えたのであった。
第二神殿の滅亡の契機となったユダヤにおける大反乱の勃発(紀元六六年)からその最終的な鎮圧(紀元七三年)まで、まさに「一週」すなわち七年を要したのである。
しかしそれ以降も大反乱の再発を懸念したローマ人たちは、ユダヤ人たちにエルサレム神殿の再建を決して許すことはなかった。
次に示す旧約聖書の三つの箇所は、このエントリーの初めの方に示したものであり、第一神殿滅亡とバビロン捕囚に関係している。しかし、主イエス・キリストが公生活中に何度も第二神殿滅亡を予告されたことで、これら三つの箇所は第二神殿の滅亡とも無関係なものとは言えなくなった。
◯歴代誌下36章15節~16節(フランシスコ会訳)【再掲】
「彼らの先祖の神、主は、使者たちを通じて彼らに警告し、何度となく警告された。ご自分の民と住まいを憐(あわ)れまれたからである。しかし、彼らは神の使者たちをあざけり、神の言葉をさげすみ、神の預言者たちを笑いものにした。そのために、主の怒りが民に対して燃え上がり、もはや容赦なかった」
◯ダニエル書9章12節(フランシスコ会訳)【再掲】
「神は恐ろしい災難をもたらすことによって、わたしたちに、また、わたしたちを支配した指導者たちに語られた言葉を成就されたのです。エルサレムに起こったようなことが、かつて、この天の下で起きたことはありませんでした」
◯エゼキエル書5章5節~9節、14節~15節(フランシスコ会訳)【再掲】
「主なる神は仰せになる。これがエルサレムである。わたしはこの都を周辺の異国の民および諸国のただ中に置いた。しかしこの都は異国にもましてわたしの定めに逆らい、また周辺の国々にもましてわたしの掟に逆らった。わたしの定めを拒絶し、掟に従おうとはしなかった」
「それ故、主なる神は仰せになる。お前たちは周辺の異国の民以上に強情である。そのためわたしの掟に従わず、周辺の異国の民の定めほどにもわたしの定めを実践しなかった。主なる神は仰せになる。それ故、わたしはお前に制裁を加える。異国の民が注視する中、お前の間で裁きを下す。ありとあらゆる忌まわしい行為に対して、かつて行ったことがなく、またこれからも決して行わないことをお前に行う」
「通り過ぎ行くすべての者の目の前でお前を廃墟とし、周辺の異国の民のあざけりの的とする。怒りと憤り、激しい非難のうちにお前を裁くとき、お前は周辺の異国の民のあざけりの的、物笑い、また警告、恐れとなる。これを語ったのは主なるわたしである」
主イエス・キリストの御受難(ダニエル書9章26節)とエルサレム神殿の滅亡の間の、ほぼ中間あたりの時期に、聖パウロは同胞であるユダヤ人たちに次のように語りかけている。
◯使徒言行録13章38節~41節(フランシスコ会訳)
「ですから、兄弟のみなさん、知っていただきたいのです。このイエスによって罪の赦(ゆる)しが宣べ伝えられ、また、モーセの律法によっては義とされなかったあらゆることについても、信じる者はみな、この方によって義とされるのです。ですから、預言者たちの書で言われていることが、あなた方の上に起こらないように、警戒してください。『見よ、お前たち、侮(あなど)る者よ、驚け。滅び去れ。わたしはお前たちの時代に一つの業を行う。誰かがこれを、お前たちに説明しても、お前たちにはとうてい信じられないことを』」
聖パウロは明らかに、第一神殿滅亡と同じ事態が近未来に再現される蓋然性を強く意識しながら、発言している。
そして、主イエス・キリスト御自身もまた、次の御言葉を残されている。
◯マタイによる福音書24章21節(フランシスコ会訳)
「その時には、世の初めから今に至るまでかつてなく、また今後もないような、大きな苦難が起こるからである」
◯マルコによる福音書13章19節(フランシスコ会訳)
「それらの日には、神が創造した世界の初めから今に至るまでかつてなく、また今後もないような苦難が起こるであろう」
マタイ24章21節とマルコ13章19節の主イエス・キリストの御言葉と使徒言行録13章38節~41節の聖パウロの言葉とは、明らかにダニエル書9章12節を踏まえているが、ダニエル書9章12節は第一神殿滅亡に言及した発言である。
つまり、主イエス・キリストも聖パウロも、第一神殿滅亡の再現というべき事態が近未来にやって来る蓋然性──すなわち第二神殿の滅亡について警告を発していることになる。
ルカ21章23節には「地上には深い苦悩が、この民の上には神の怒りが臨む」という主イエス・キリストの御言葉があり、当然この箇所は、マタイ24章21節やマルコ13章19節に対応しているが、プロテスタントの文語訳聖書である『改訳 新約聖書』(1917年)においては、ルカ21章23節の同じ箇所を「地(ち)には大(おほひ)なる艱難(なやみ)ありて、御怒(みいかり)この民(たみ)に臨(のぞ)み」と訳しており、ある人々がいわゆる「大艱難時代」「大患難時代」などと呼んでいる時期が実は第二神殿滅亡の前後に他ならないことを、既に暗示している。
マカバイ記の時代、神殿の祭壇上に「荒廃をもたらす憎むべきもの」が築かれたのは「第百四十五年のキスレウの月の十五日」のことであった(マカバイ記一1章54節)。
そして、それが撤去されてユダ・マカバイたちが祭壇を新たにし、神殿の清めを終えてその奉献を行なったのは、「第百四十八年の第九の月、すなわちキスレウの月の二十五日」(マカバイ記一4章52節)であった。
つまり、アンティオコス・エピファネス王が築いた「荒廃をもたらす憎むべきもの」によって被ることになった荒廃の時代は、三年より少し長い期間で終わったのである。
マカバイ記の時代の後、ローマ帝国による破壊までの二百数十年の間、ともかくエルサレムの第二神殿は存続し続けた。
しかし、紀元七〇年の滅亡の後、結局エルサレム神殿における「犠牲(いけにえ)と献(ささ)げ物」の伝統は完全に廃れたままで二千年近くが経過し、21世紀の現代に至っている。
まさに、アンティオコス・エピファネス王が築いた「荒廃をもたらす憎むべきもの」などとは比べようがないほどの、はるかに決定的で甚大な長期間に及ぶ破壊的影響が、紀元七〇年における滅亡によってもたらされたわけである。
(注)別エントリー「予備的考察:いわゆる『エゼキエル戦争』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4584
最後に、非常に重要な問題であるため、あえて重ねて次の事柄を強調しておく。
エルサレムそして第二神殿の滅亡とそれに関連する諸々の出来事をもって旧約聖書の全ての預言がことごとく成就することを、ルカ21章22節において主イエス・キリストは宣言されている。
従ってダニエル書の「七十週」預言も、二世紀以降の歴史的出来事とは基本的に関係はない。
ましてや21世紀の現代あるいは近未来の世界情勢とは関わりがあろうはずはない。
(注)別エントリー「『携挙』:ギリシア語聖書本文で徹底検証【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7753