【問】主イエスは狭い戸口または門から入るように勧められましたが、どうすべきですか?【答】狭い門とは、イザヤ26章2節や詩編118編19節にある「神の義の門」のことで、信者が実際にすべきことは「あなたが他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたの方から他の人にしなさい」です。
(注)別エントリー「試論:『神の義』『狭い門』何?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17358
【追記】
イザヤ書の最後の二つの章では「呼んでも答えず、語りかけても聞かず、わたしの目に悪とされることを行い、わたしの喜ばないことを選んだ」という表現を反復し(65章12節、66章4節)神は彼らを選ばれないが(マタイ22章14節)、主はそれをマタイ7章13節では滅びに通じる門と表現された。
(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4884