【問】主イエスは湖で突風を鎮められた後、弟子たちに「まだ信じないのか」と仰せになりましたが、彼らは何をまだ信じてなかったの?
【答】「自分たちの先生イエスが創世記の冒頭に登場される天地万物の創造主であること」です。ヨハネ1章は、主イエスを「言(ことば)」と呼んで、これを強調します。
【追記】
ヨハネ1章1節は主イエス・キリストを「言(ことば)」と呼び紹介する。これは「天使や預言者を介することなく、御自分で直接人々に御言葉をお話しになる神」を意味し、「イエス・キリストなんか本当は実在しなかった」と言い立てる人々に対しては、主が残された御言葉それ自体がその存在証明となる。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844
《御父である神、主》と《御子である神、主イエス》とは、詩編110編1節では御父は「主」、御子は「わが主」でありマタイ22章44節で御父は「主」、御子はダビデの言う「わたしの主」である。ヨハネ1章1節では御父は「神」、御子は「言(ことば)」であり、「言は神であった」と記されている。
(注)別エントリー「試論:「わたしの主」は誰?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7536
ヨハネ1章1節の「言(ことば)」、いわゆる「神の御言葉」とは、「御自分で御言葉をお話しになる神」すなわち御子である神、主イエス・キリストを意味する。「言(ことば)は神とともにあった」とは、天地創造以前の初めから、御子である神は御父である神とともに存在しておられたということである。
(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5846