試論:「日ごとの糧と命のパン」を140文字以内で

主イエスはマタイ6章で「主の祈り」を教えられた。11節「わたしたちの日ごとの糧」の「糧」とヨハネ6章35節の「わたしは命のパン」の「パン」とは原文のギリシア語では同じで、古代のギリシア語訳イザヤ55章10節「糧」も同じだが同節で「糧」は「主の御言葉」(ヨハネ1章1節参照)を指す。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』到来の目的を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

エレミヤ5章14節は主の御言葉を「火」に喩え、これを踏まえられ主イエスはルカ12章49節で「わたしは地上に火を投ずる」と仰せになった。他方イザヤ55章10節は主の御言葉を「糧」に喩えるが、ならばマタイ6章11節「わたしたちの日ごとの糧」の「糧」も、やはり主の御言葉を暗示している。

(注)別エントリー「試論:『イエスの御言葉こそ糧』を140文字以内で」も参照のこと。
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主は山上の説教で「神の義に飢え渇く人は幸い。その人は満たされる」と仰せになった。その理由はヨハネ6章35節で説明される。「わたしは命のパンである。わたしの許に来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」同7章37節「渇く人は、わたしの許で飲みなさい」。

(注)別エントリー「試論:『わたしが与える水』を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ6章27節「人の子は、あなたたちに永遠の命へと至る食べ物を与える」35節「わたしがその命のパンである」イザヤ55章2節〜3節「わたしに聞き従うならば、あなたたちは良いものを豊富に享受するだろう。あなたたちはわたしの許に来て、それに耳を傾けて聞き従い、魂に命を得させなさい」。