【問】マタイ7章12節の「他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたから他の人にしなさい」は、子供に対して教える類の話では?
【答】これを主イエスは《律法》と呼ばれ、同18章3節では「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」と教えられました。
【追記】
【問】マタイ7章12節の教えに、神なる主が旧約聖書全体で人々にお伝えになりなかった事柄が要約されるということですか?
【答】それこそが、主イエスがマタイ5章17節で仰せになった「完成」です。その教えは、幼児でも暗記できるほど簡潔なので、巻物や石板も不要です(エレミヤ31章33節)。
一ヨハネ5章3節は「神の掟は荷が重くない」と記し、主イエスはマタイ11章30節で「わたしの荷は軽い」と仰せになった。「わたしの荷」すなわち《キリストの律法》(マタイ7章12節:他人からしてもらいたいと思うことを全て他人にしなさい)は、モーセの律法に比べると驚くほど単純だが奥深い。
(注)別エントリー「試論:『愛の掟は荷が重くない』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13558
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199
【問】なぜ、「キリストの律法」(マタイ7章12節)を世に広く伝える必要がありますか?
【答】人間は自分自身の尊厳が傷付けられたと思い込んだ時、ならば今度は自分が相手の尊厳を傷付けても問題ないはずだという恐ろしい考えが心に生じて来ます。それを予防するためにキリストの律法は不可欠です。
(注)別エントリー「《キリストの律法》(マタイ7章12節)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18013