【問】ヨハネ14章15節「あなたたちは、わたしを本当に愛しているのなら、わたしの掟を守るはずだ」の「掟を守る」とは?
【答】申命記7章11節「あなたたちは、今日わたしが『行いなさい』と命じた戒めと掟とを守らなければならない」の通り、「掟を守る」とは、掟を実際に行う以外にありません。
【問】「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」。これと同じ主張は福音書にありますか?
【答】マタイ9章13節「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」。神なる主がお喜びになる行いは、割礼や各種の献げ物やいけにえの類いではなくて、隣人愛の実践です。
【問】「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく」の「律法の行い」って、何?
【答】ローマ3章30節以下では割礼が話題にされますが、ヘブライ10章5節以下は「罪を贖うためのいけにえ」や「焼き尽くす献げ物」に言及し、続いて、神はこれらを望みもせず、好まれもしなかったことを説明します。
【問】では、「人が義とされるのは信仰による」の「信仰による」は、聖書の中のどの箇所で説明されていますか?
【答】ガラテヤ5章6節「キリスト・イエスに結ばれているのなら割礼の有無ではなく愛の実践を伴う信仰こそ大切」ヤコブ2章17節「行いを伴わないのなら信仰はそれだけでは死んだもの」。
【問】使徒言行録5章にはアナニアとサフィラの話がありますが教訓は何ですか?
【答】主イエスはヨハネ14章6節で「真理(アレテイア)」を自称され、御自分が真心には真心でお返しになる神であると仰せになりました。詩編12編は、ヘブライの信仰は嘘偽りや面従腹背とは相容れないと教えています。
【問】ローマ5章9節は「わたしたちはキリストの血によって義とされた」と記しています。洗礼を受けて信者になれば、後で何をしても救われるの?
【答】ヘブライ10章26節以下では「わたしたちが真理の知識を受けた後でも、故意に罪を犯し続けるとすれば、〜」等と厳しい表現で強く警告しています。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332
(注)別エントリー「試論:『真理』あるいは三位一体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7662
【問】アナニアとサフィラの受けた罰は重過ぎるようにも感じます。
【答】プロテスタントの『改訳 新約聖書』(1917年)は、ヨハネ14章6節の「真理」に「まこと」と仮名を振りました。当時の日本人は「まこと」という表現から「真」「実」「信」「誠」を連想でき、実際にそれらの全てが正解です。
【問】アナニアとサフィラには「まこと」が欠けていたということですか?
【答】「自分は神を信じているから自分がいくら罪を犯していても、最終的には神は自分を救ってくれる」といった、「信仰義認」をどこまでも野放図に拡大解釈する虫のいい発想など神には通用しないというのが、この話の教訓です。
【問】では、人間はどうすれば神に救われるのですか?
【答】ヤコブ2章17節「行いを伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだもの」ガラテヤ5章6節「キリスト・イエスに結ばれているなら愛の実践を伴う信仰こそ大切」マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことなら全てあなたからしなさい」。