主はヨハネ14章26節で聖霊が全ての御言葉を呼び起こして下さると仰せになり、聖霊降臨の際「炎のような舌」が現れ使徒たちの上にとどまり聖霊に満たされて語る使徒たちの言葉が三千人を洗礼に導いた。洗礼者の「聖霊と火(火は御言葉の象徴)による洗礼」という約束はこうして現実のものとなった。
(注)別エントリー「試論:主の御言葉こそ『火』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『聖霊と火』の『火』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
「言葉〔の力〕」を火にたとえる比喩はエレミヤ書で用いられ(5章14節、20章9節、23章29節)、主イエス(ルカ12章49節)や洗礼者(マタイ3章11節、ルカ3章16節)も用い黙示録にも登場する(11章5節)が、ヤコブ書も3章5節以下において、「舌は火」(6節)と表現し説明する。
(注)別エントリー「試論:『地上に火を投ずる』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『火も剣も御言葉の比喩』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7812
(注)別エントリー「試論:口から火が迸り出る預言者を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:マルコ9章49節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5837