試論:聖ヨセフ崇敬の現代性を140文字以内で

マタイ福音書はヨセフを「ディカイオス(義人)」と表現し、幼子イエスと母マリアに対して誠実と無私の態度で接した彼の姿を特筆大書した。その理由はやがて「多くの人の愛が冷える」(24章12節)時代が来て、その時代は乳飲み子とその母である女性にとって特に不幸(同19節)となるからである。

(注)別エントリー「試論:『終わりの時』の人々の姿を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『滅びに通じる門は広い』140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
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(注)別エントリー「聖家族はどのような雰囲気の中で暮らしていたのか」も参照のこと。
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【追記】

古代のイスラエルでは、一度、神にささげられたと定まったものを後から人間が自分の都合で私物化する行為は、神に対する重大な罪とみなされた(サムエル上2章、15章等)。ヨセフは出産後のマリアを「知る」ことがなかった。処女懐胎時に妻は既に「聖別」されていると、彼が認識していたからである。

(注)別エントリー「聖母と聖ヨセフが終生童貞である理由」も参照のこと。
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カトリックで聖母を指す表現「天の門」は、聖書では創世記28章17節にのみ登場し、同節は主がおられた場所を「なんと畏れ多い場所」「天の門」と呼ぶ。主を宿した「胎」(ルカ11章27節)であるマリアを、同様に《なんと畏れ多い女性》と感じるのは、古代のイスラエル人の感覚として当然である。

(注)別エントリー「試論:ルカ11章28節を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『神の都市』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『偉大なこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『受肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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マタイ1章19節は主の養父ヨセフを「正しい人(ディカイオス)」と表現する。25章の「最後の審判」におけるディカイオスは、隣人が何らかの助けを必要としている時に、必要とされている助けを提供して困り事を解決する人を指し、ヨセフはイエスとマリアが本当に必要としていることだけを実行した。

(注)別エントリー「試論:聖ヨセフの模範を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
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主の養父をマタイ1章19節はディカイオスと表現するが、古代ギリシア語訳ハバクク2章4節はディカイオスを高慢な者と対置する。主が「人の子は仕えるために来た」(マタイ20章28節)と仰せになり、聖母が「主のはしため」(ルカ1章38節)を自称する以上、ヨセフのへりくだりは必然と言える。

(注)別エントリー「試論:『メシア到来の目的』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『履物を脱ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『高慢は破滅を準備する』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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