黙示録19章3節は「大淫婦が焼かれる煙は世々限りなく立ち上る」と記す。これはイザヤ65章5節「わたしの怒りの煙」に対応し、「煙」は神の怒りの象徴であり、それがもたらす破壊の象徴でもある。「世々限りなく〜」は都が二度と元通りには戻らないという記述(18章21節以下)に対応している。
(注)別エントリー「試論;『花婿と大淫婦』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13533
【追記】
黙示録18章7節「わたしはやもめではなく女王であり、決して悲しい目に遭わない」ルカ19章41節以下「イエスは都のために泣いて仰せになった、『もし今、お前が平和への道をわきまえていたならば。しかし今のお前は、それを理解していない。時が来て、敵がお前を包囲して四方から攻め寄せ〜』」。
(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962
(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699