試論:「クレオパトラとヘロデ」を140文字以内で

イドマヤ出身の重臣の身ながら王家の内紛に乗じユダヤの王位を奪ったヘロデを、エジプトの女王はひどく忌み嫌った。ヘロデは女王がユダヤに立ち寄る際の謀殺を目論んだが成功してもローマの追及は必至と周囲に説得され断念した。女王と愛人アントニウスはローマの内戦で敗死し、ヘロデは事無きを得た。

(注)別エントリー「ダニエル書7章:地上に興る第四の王国」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4631

【追記】

ヘロデ家(ユダヤ教に改宗したイドマヤ人)はハスモン家(元来は祭司族出身)から王位を奪ったが、両家ともダビデの子孫ではなく、ミカ書のメシアの条件とは違った。ヘロデ王やエルサレムの人々の不安は、東方の博士たちの言葉の意味を王位争いの新たな火種としか理解できなかったことに由来していた。

(注)別エントリー「試論:『なぜダビデの子なのか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13127

(注)別エントリー「試論:ダビデ王家とガリラヤを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15011

シリア王アンティオコス・エピファネスは、ユダヤで暴政を繰り拡げたが、ユダ・マカバイを中心に、ある祭司の一族が反乱を指導しユダヤは独立した。マカバイの死後、一族は伝統に反し大祭司に就任し、さらに王位も兼任して権力の独占を強めたが、長年の「御家騒動」の末、権臣ヘロデに王位を奪われた。