試論:イザヤ28章「隅の親石」を140文字以内で

主イエスはイザヤ28章16節や詩編118編22(21)節を踏まえて御自分を「隅の親石」と呼ばれた。古代ギリシア語訳イザヤ28章17節では、神なる主が個々の人間を評価される基準を「〔わたしは〕憐れみの業を分銅とする」と記す。ルカ6章38節「あなたたちは自分の量る秤で量り返される」。

(注)別エントリー「試論:マタイ21章42節『家』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15057

(注)別エントリー「聖書にはクリスマスの日付が載っていますか???」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:憐れみ深い人が幸いの理由を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】

マタイ7章12節「他人からしてもらいたいことを、あなたから他人にしなさい。これこそ律法と預言者」同5章22節「腹を立ててはならない」同7節「憐れみ深い人は幸い。その人は天の御父の憐れみを受ける」同6章14節「あなたが他人の過ちを赦すならば、天の御父もあなたの過ちをお赦しになる」。

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199

(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4346