聖家族がヘロデの追及を逃れてエジプトに避難した後、ヘロデ没後の混乱に乗じガリラヤのユダがローマの住民登録に対して大規模な反乱を起こした。ベツレヘムで住民登録に参加した聖家族は、ただそれだけで親ローマ派と見なされる危険があり、この反乱が鎮圧されるまでは故郷に戻ることができなかった。
(注)別エントリー「試論:ダビデ王家とガリラヤを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15011
(注)別エントリー「福音書の時代におけるガリラヤ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2354
【追記】
聖家族の町ナザレから数キロの距離にガリラヤの主要都市セフォリスが存在した。ガリラヤのユダはセフォリスをローマ支配の拠点と見なし焼き討ちにした。反乱鎮圧後のセフォリスはギリシア・ローマ色の強い都市として再建されたがユダヤ色は希薄となり、そのためか福音書にセフォリスは全く登場しない。
使徒言行録5章37節は「ガリラヤのユダ」が反乱の指導者となり滅びたと記す。ヘロデ大王死後の混乱に乗じて勢力を拡大した彼は、ローマの住民登録への反対を掲げ、登録した者を親ローマ派と見なして敵視した。彼の滅亡を確かめた上で(マタイ2章20節)、聖家族はエジプトから帰還したはずである。
(注)別エントリー「試論:一世紀ユダヤの反乱や暴動を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6423
マタイ2章は暴君ヘロデ大王の後継者としてアルケラオの名を記す。ヘロデを恐れて沈黙していたユダヤの人々は、その死後いっせいに不満の声を挙げアルケラオは為す術を知らなかった。ローマ帝国は彼を不適格者と判断してユダヤからガリラヤを切り離し(マタイ2章22節参照)、最終的に彼を追放した。
(注)別エントリー「試論:黙示録17章『第八の者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9038