主イエスはヨハネ16章33節で、お話しになった理由を「あなたたちがわたしによって、平和を得るため」と説明された。平和という表現で福音書の時代の人々は個々の健康や幸福・協調・一致や発展、社会や国家の安寧、暴動や反乱のない状態、心の(霊的な)安定など物事が好転している状況を総称した。
【追記】
主イエスは御復活の後、弟子たち(使徒たち)に初めて現われた際「あなたがたに平和があるように」と仰せになった。古代のヘブライ人にとって「平和」は全ての幸福の総称である。挨拶として長い形式ではサムエル上25章6節「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのもの全てに平和があるように」。
主イエスはヨハネ14章30節で「世の支配者」に言及されたが、その者はルカ4章6節で主に対し、自分なら全世界の権力と繁栄の一切を与えられると豪語した。ヨハネ16章33節における主の仰せ「わたしは既に世に勝っている」は、荒れ野で「世の支配者」からの誘惑を全部はねのけたことを示唆する。
(注)別エントリー「試論:『この世の支配者』って?を140文字以内で」も参照のこと。
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