【問】黙示録5章10節は主イエスに忠実な弟子たちを王や祭司と呼びますが、なぜですか?【答】主に忠実な弟子は、「最も偉い者は仕える者でありなさい」の御教えに忠実でサタンの罪と死によ支配に打ち勝ったという意味で「王」、いけにえの替わりに憐れみの業を主に献げるという意味で「祭司」です。
(注)別エントリー「試論:『王であること』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『王の系統を引く祭司』?を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
「救い主」が世を救われる方法に関しイザヤは、「小羊」(53章7節)つまり代価として御自分をささげ、「しもべ」(42章、49章以下等)として人々に仕えると預言し、主もマタイ20章28節でそれを宣言された。救い主の母となることを承諾した女性が「主のはしため」を称するのは象徴的である。
マタイ23章11節「あなたたちの中で最も偉い者は、仕える者であり続けなさい」ルカ1章38節「わたしは主のはしためです」ローマ5章17節「神の恵みと義の賜物を豊かに受けている人は唯一の主であるイエス・キリストを通して永遠の命を得て、サタンの罪と死による支配から自由になり王となる」。
【問】カトリックは聖母を「女王」扱いしますが福音書のマリアは控え目な女性ではないでしょうか?【答】黙示録5章10節は小羊に忠実な人々が王になると啓示します。「最も偉い者とは皆に仕える者」の御教えに忠実でサタンの罪と死による支配に打ち勝った者だからで、聖母は全信者の先駆的存在です。
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:世の罪を取り除く神の小羊を140文字以内で」も参照のこと。
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創世記3章15節で神は、サタンと決定的に対立する一人の女性が将来現れることを予告された。黙示録12章では、それは救い主の母となった女性のことだと啓示された。救い主は人々を罪や悪から救うために生まれるので、その母が存在の最初の瞬間から罪や悪とは完全に無縁であるべきなのは当然である。
(注)別エントリー「神のお告げ:受胎告知と無原罪の御宿り」も参照のこと。
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(注)別エントリー「創世記3章15節:蛇の頭を踏み砕く者は誰か」も参照のこと。
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黙示録12章の女は5節で、諸国民を鉄の杖で治める男の子を産んだ。かつてモーセは神の杖を槌として用い岩を打ち砕いた。エレミヤ23章29節は御言葉を、岩を打ち砕く鉄槌に喩える。故に黙示録の鉄の杖も御言葉の象徴的表現で、男の子は「神の御言葉」主イエス・キリスト、女はその母マリアを指す。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:「わたしの主のお母さま」を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録は古代のヘブライの世界観に従い人間を「土の器」(2章27節)と表現し、さらにそれを踏まえ「諸国の民の上に立つ権威」(同節)を「鉄の杖」(同節、12章5節)に喩える。12章で「鉄の杖」は神の御独り子たる主イエスの王権を象徴し、最後までイエスに忠実だった人々は主の王権にも与る。
(注)別エントリー「試論:『女』とサタンの対立を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『女』と『残りの者たち』を140文字以内で」も参照のこと。
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黙示録20章やローマ5章は「悪に悪を返さない」ことを徹底して罪や悪と決別した人々を「バシレウオ(〔キリストとともに〕王となる)」という動詞で表すが、これはあくまで《義化の完成》を象徴する表現であり政治体制的な意味を含まず、彼らは「第二の死」を免れ「永遠の命」を得ると記されている。
黙示録5章10節は、「小羊」主イエスに忠実な弟子たちが王となり地上を統治すると啓示する。その理由の一つは彼らが「最も偉い者は皆に仕える者」(マタイ23章11節)という主の仰せに忠実だからであり、一つはローマ5章12節以下の通り、サタンの罪と死による支配に打ち勝った者だからである。
一コリント4章8節でパウロはコリントの人々に、《あなた方は教会を意のままに差配して誇っているが、どうかキリスト教の本分「罪と死の支配からの自由」を心がけ永遠の命に至る努力を日々怠らぬように。それならわれわれも福音宣教が実を結んだと主に認められて永遠の命に至るのに》等と書き送った。
【問】一ペトロ2章9節「あなたたちは王の系統を引く祭司」の意味とは?【答】モーセの律法の祭司はいけにえや献げ物を神に献げますが、王であるキリストの弟子は一人一人がいけにえでなく憐れみの業(ホセア6章6節、ミカ6章8節)を神に献げる義務がある、という意味でキリストにおける祭司です。
(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:憐れみ深い人が幸いの理由を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ホセア6章の『神を知る』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『永遠の命の言葉を持つ』を140文字以内で」も参照のこと。
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