試論:「主からの光が輝く条件」を140文字以内で

主イエスはマタイ5章16節で「あなたたちの光を、人々の前に輝かせなさい」と仰せになった。イザヤ58章6節〜10節では主からの賜物である光が輝く条件として、他人を圧迫したり小馬鹿にしたり暴言を吐いたりすることをやめて、困窮している隣人に救いの手を差し延べることであると啓示している。

【追記】

イザヤ58章9節「もしもあなたが隣人を圧迫することをやめるなら、もしもあなたが隣人を侮ることをやめるなら、もしもあなたが隣人を言葉で傷つけることをやめるなら、あなたが主を呼ぶ時には必ず主は御答えになり、あなたが主に向かって叫ぶ時には必ず主は『わたしはここにいる』と御返事される」。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはマタイ5章16節で「光を、人々の前に輝かせなさい。人々が立派な行いを見て、天の父をあがめるようになるため」と仰せになった。神からの光が人々に伴って輝くのはどんな時かがイザヤ58章9節〜10節に記されているが、憐れみの業を行うと共に自分の中の悪意を放棄しなければならない。

(注)別エントリー「試論;『人心荒廃は滅亡の前兆』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
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マタイ5章で主は、「あなたがたは世の光」(14節)、「あなたがたの光を、人々の前に輝かせなさい。人々があなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(16節)と仰せになり、行いを伴わぬ信仰など役に立たない(ヤコブ2章14節)ことをお話しになった。

(注)別エントリー「試論:行いを欠く信仰を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『地の塩』を140文字以内で」も参照のこと。
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主はマタイ5章14節で「あなたがたは世の光」ヨハネ8章12節で「わたしは世の光」「わたしに従う者は暗闇の中を歩まず命の光を持つ」と仰せになった。同1章4節は「御言葉のうちに命があり、命は人間を照らす光」と記す。イザヤ58章6節以下では隣人に心を配り助けを惜しまない人々に光が伴う。

(注)別エントリー「試論:『世の光と一タラントン』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章4節『命の光』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『霊魂を注ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
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詩編119編105節に「〔主よ〕あなたのことばはわたしの道の光」とあるが、「ことば」は神の御教えを指すのと同時に、ヨハネ1章1節では人々に御姿をお見せになり御教えを直にお話しになる主イエスの称号でもあり、主は御自分を同14章6節で「道」、同8章12節で「世の光」だと表現なさった。

(注)別エントリー「試論:ヨハネ14章6節の『道』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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エゼキエル18章「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は仰せになる。彼が悪から立ち帰って生きることを喜ばないだろうか。お前たちが犯した全ての背きを投げ捨てて新しい心と霊を造り出せ。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。お前たちは立ち帰って生きよ。わたしは誰の死も喜ばない」。

【問】主イエスはマタイ7章7節以下で、「求める者は受け、探す者は見つけ、門を叩く者は開かれる」と仰せになりましたが、どういうことですか?【答】あなたが真心(まごころ)をもって神を探すなら神は真心で答えられる(詩編18編27(26)節)という意味で、当然真面目な意図が求められます。