ヤコブを称する外典福音書は二世紀後半までに成立したが、聖母の神殿奉献や聖母の両親の名前の記述はカトリックの聖伝と一致する半面ヨセフ関連の記述全般で信憑性に乏しく、ヒエロニムスや四〜五世紀の諸教皇に排斥されて西欧では一度表舞台から姿を消したが、宗教改革期に再び西欧で広く紹介された。
(注)別エントリー「聖書の時代に神殿の処女は存在したのか」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1539
(注)別エントリー「福音書の聖ヨセフと外典書の高齢者ヨセフ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4759
(注)別エントリー「主の御降誕の時ヨセフは何歳だったのか【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11500
(注)別エントリー「主の御降誕に助産婦が介在しなかった意味とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/2544
(注)別エントリー「聖ヨセフ:ディカイオスを旧約聖書で考察」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1613
(注)別エントリー「婚約者の妊娠を知った時のヨセフの心情」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3092
(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750
(注)別エントリー「聖母と聖ヨセフが終生童貞である理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4464
【追記】
ヤコブの名を冠する外典福音書では住民登録のためにベツレヘムへ出発する際、高齢の自分と若いマリアとの二人旅は外聞が悪いとヨセフは考え、前妻との間の息子を呼び寄せて先にマリアと出発させヨセフは後を追った。神の母とは全く不釣り合いのこんな老人を神が選ばれる道理が、どこにあるのだろうか?